YMF大河ドマラ
シブがき隊外伝!
作・画・唄・演奏・暗黒舞踏・入浴
恵比寿コステロ




● 目次
  • その1その2その3その4その5
  • その7その8その9その10外伝の外伝その1
  • その11その12その13その14その15その16その17その18その19その20
  • その21その22その23
  • その24その25その26その27その28その29その30
  • その31その32その33その34外伝の外伝その2
  • その35その36その37





  • ■ シブがき隊が遺伝、もとい外伝
                        (2001年4月4日(水)20時21分)



    ダディ郷と千葉おとぼけマリーンズが母体となって発足した「シブ楽器隊」と言えば、

    森園勝敏、ジョー山中、井上鑑、小玉和文、ダブマスターX、工藤兄弟、まりん等

    錚々たる一流ミュージシャンを輩出した事で有名だが、中でもシブ楽3大ギタリスト

    こと、デュアン・オールマン、ジミ・ヘンドリクス、B.B.キングの3人は特に

    よく知られている。 

    当初、ライザ・ミネリのバックバンドとしてスタートしたシブ楽器隊であったが、

    ミネリからの「名前がわけわかんないわ」というクレームにより1980(大麻16)年

    クビになっている。 そこで彼等は自らをヤフーオークションに掛け、雇ってくれる

    事務所を探した。 落としたのが「ジョン」ことジャニーズ事務所の当時経理課長、

    ジャニー喜多川である。 やがて社長に出世したジョンは彼等の「シブ楽器隊」

    という奇妙な名前にぴったり合うヴォーカル・グループ名を考案。 それがかの

    「シブがき隊」であった。

    シブ「がき」隊の方のオリジナル・メンバーは、

    ヤッくんこと薬丸裕英(つっぱり担当)、モッくんこと本木雅弘(ハンサム担当)

    フッくんこと布川敏和(ミャーミャー担当)、そしてもう一人、今ではあまり

    知られていないが ピッくんことピンク山田(エロス担当)の4人であった。

    しかし当時既に54歳だったピンクは酒癖が悪く、スイス銀行から60億円もの

    借金をしている有り様で女房子供にも逃げられる始末。 おまけに身長が

    2メーター18センチもあったため、健康的なジャニーズ事務所のイメージに

    合わないとのジョンのトップ判断により、クビになった。 しかし、このピッくん

    こそ後の名横綱、曙(あけぼの)である。

    (続く)





    ■ シブがき隊外伝 2
                        (2001年4月5日(木)20時00分)



    1981(大麻17)年のある夏の日、ジョンはいつものやうに専務室

    (当時まだ専務だった)にて深紅のガウンを素肌にはおりながら

    オロナミンC片手にハバナの葉巻きをふかしつつぶらさがり健康器

    をやりながら、愛用のオープンリールデッキでテープを聴いていた。

    曲は、当時大ヒットした、島田井助(しまだ・いすけ)(大人気を

    誇ったロッックンロールグループ、THE CRAZY BANKER 横浜銀行

    FINANCING SPECIAL (略して横チン隊)の弟分)のシングル、

    「エロティック気分の夜だから」だった。ジョンはつぶやく。。

    「まーい まぶいがーる  ってか!  ふむふむ、まぶいってのは、

    とどのつまり、まぶしい、から「し」が抜けたって事だよな。

    するってぇとナニかい? 「親しい」から「し」を抜いたら

    「したい」になるワケなのね(このへんマギー司郎風)。

    た・と・え・ば ボクは本木君とはよく飲みに行ったりしてて

    親しいんだけど、ナウい言い方だどボクはモッくんとしたいです、

    ってなるわけなのね? うーーん、ボクはモッくんとしたい! ちなみに

    布川君とはあまり飲みに行ったりしないんだよね、つまり(以下略)。」

    ひとりごとの多いジョンであった。



    島田井助や、当時大人気だったアイドルグループ「セイントフォーリーブス」、

    「なか指立たせ隊」、「百姓一揆セピア」などのヒット曲を緻密に分析

    した結果、ジョンのプロデュースによる「シブがき隊」(当時まだ

    ピンク山田が在籍)の記念すべきファースト・シングル、となる筈だった

    幻の名曲、岡林信康作詞、高石ともや作曲の「山谷のホー・チ・ミン」が

    生まれた。 ところがこの曲、あまりに歌詞が政治的に過激でとても

    オンエアー出来たものではなかった為、ジョンのトップ判断により急遽

    とりやめに。

    この事件ですっかりコりたジョンは、「山谷のホー・チ・ミン」とは正反対の

    100%バカみたいなすっとこどっこいソングで行く事に180度方向転換。

    そこで生まれたのが、かの知らぬ者とてないシブがき隊のデビュー曲

    「じたばたシックスティーン」である。

    (続く)





    ■ シブがき隊外伝 蹉唖怒(まんなかの漢字出せず!) 
                        (2001年4月7日(土)08時46分)



    樺太出身のダンス&ラップ・男性アイドル4人組 ザ・ポンプがデビュー

    したのは大麻18年の事だった。 なかでもリードヴォーカルのASSI(アッシ)

    はジャニーズ系には無い圧倒的歌唱力と勝新太郎っぽいセクシーなルックスで

    人気を集め、他の3人(BOBO、ラッタッタ、チョロQ)も4回転バック宙などの

    アクロバティックなアクションで業界中の話題をかっさらった。 

    焦ったのは当時ジャニーズ事務所の副社長だったジョンである。

    「このままでは、、我がジャニーズ帝国栄光の歴史は樺太組にやられてしまう。。

    シブがき隊はバック宙どころか開脚前転も満足に出来ないし、コサックダンスを

    やったら足がもつれる。(ザ・ポンプの得意技は超高速コサック(通称KOSAX)を

    クールにキメる事だった。もちろん歌いながら。) まして歌となるとね。。

    そりゃあたしかに、ピンク山田(後の曙関)だけは、コサックも速いし、歌だって

    ルチアーノ・パヴァロッティ並みにお上手です。 しかし奴は酒乱の54歳。

    おまけに別な意味でイイ体し過ぎだ。 よし、奴はジャニーズをやめさせて

    魅那豪牢死(みなごろし)部屋(当時最高にバリバリだった相撲部屋。 

    西横綱「喧嘩辰」、東張出大関「無面難妖(なめんなよ)」、若手の東小結

    「寿帝霧(じゅてーむ)」などの力士をかかえて最高に強かった。 喧嘩辰は

    14場所連続逆転優勝の記録持ち) に40万ドルで売ろう。」

    こうして「ピッくん」ことピンク山田が放出され、「シブがき隊」は3人になった。

    4人組のザ・ポンプとの差別化が計られたとも言える。 しかし樺太軍の快進撃は

    止まらない。

    「ザポン(ザ・ポンプを縮めたクールな呼び方。当時のヤング族の間で流行っていた)

    はまだまだ強過ぎらあ! そうだ! いっちょうスキャンダルでもデッチ上げて

    イメージを落としてやるか。。」



    大麻10年代といえば、空前の樺太出身アイドル・ブームである。「樺太役者塾」

    出身の女性4人組「スッピドー」はザポンと同じくらいの人気を誇っていた。

    そのスッピドーのダンス&ボケ&美少女担当(ちょっぴりモッくんとキャラかぶり)

    で一番人気のあったのが「タカコ」こと上原浩二である。 彼女は最初読売巨人軍

    (当時大人気だったクリケットチーム)のエースピッチャーだったが、身長が

    7フィート11インチと高過ぎるためプロレス界に転向、ジャイアントタカコの

    リングネームで「男日本プロレス(男日)」を旗揚げしたが、(このあたり

    ピッくんの経歴に似ている点に注意。よく引っ掛け問題でセンター試験に出るゾ)

    その後その愛くるしいルックスを活かしてアイドルに再転向したのであった。

    さて前バリが可愛く、もとい前置きが長くなったがジョンはこのタカコとASSIが

    付き合っている、しかもタカコの方がSである、という噂をタス通信経由で流しに

    流しまくった。 あまりの流しっぷりに社内では、「ジョン副社長はまるで

    そうめんかデビュー前の北島三郎のようだね!」と噂されていた。

    (念のため他の3人についても、BOBOは佐川急便から巨額の賄賂受け取り、

    ラッタッタは息子が地下室で阿片乱交パーティー、チョロQは悪いやつ、という噂

    をそれぞれ流した)



    ジョンの策は功を奏し、噂は日本中をかけめぐった。恵C得

    ただし、タス通信を経由させたせいかジョンが意図したのとは微妙に噂の内容が

    食い違っていたのだが。。

    「ザ・ポンプのASSIは同じくザ・ポンプのチョロQと付き合っていて、スッピドーの

    タカコはクレープが好きであり、おまけにSである。 あと、アントワネット猪木が

    男日を脱退して横日本プロレス(横日)を旗揚げするんだって。」

    このような噂で日本中のティーンが沸き立った大麻18年の春、女の子たち

    (女の子のタチ役ではない)の間では、ASSIとチョロQのホモ関係というあらぬ妄想

    を大いに膨らませ(まるで日本国の赤字国債の様に膨らんだ)、かえって潜在的

    に男どうしのエロティックな世界に興味を持っている少女達の圧倒的支持を得、

    ザ・ポンプの人気はいよいよ不動のものとなっていった。。 この不動の人気を

    讃えて建立されたのが目黒不動尊である。



    ジョンは唇を噛んだ。。

    (続く)





    ■ シブがき隊外伝とっぷ、もとい4 
                        (2001年4月10日(火)21時51分)



    「TBSドラマ・八年ハメ組半次郎先生 生徒役オーディション会場」

    シブがきの面々は緊張の面持ちで、立ったり座ったりしていた。 

    ただ一人、ずっと立ったままのモッくんだけ、憂いを帯びた横顔で

    窓の外を見ている。 お台場は夏 。。

    「ピッくんの奴、角界でうまくやってるだろかな。 コサックは決まり手じゃない、

    って分かってるよねっ? アイツの作ってくれたかき氷、うまかったよなあ。。」

    よみがえった友情が 涙になって一粒 フロアーに零れ落ちる。



    そう、YMFと言えばそもそもの始まりは「半次郎先生」である。 前年度、やはり

    大人気を博した「三年酒組鮫五郎先生」から飛び出したフレッシュ三人組、

    「たのきんぽトリオ」こと田原俊彦、野村義男、近藤真彦、ポンポン島田の4人

    (ポンポン島田は家業の海賊を継ぐため引退)で味をしめたジャニーズ事務所

    が もう一儲けしようぜとばかりにTBSに送り込んだのが(ピッくん脱退後の)

    シブがき隊だったのである。

    「俺は、芸能界のビル・ゲイツになったるんや!」

    たのきんぽの功績で副社長に昇進したジョンはおもわずトイレでそう雄叫びを

    上げたと言う。



    「はい、次のハンサムボーイ、入ってらしゃーい」

    審査の先生の声が聞こえた。 まずはヤッくんからである。 緊張のあまり、

    一秒に7回のペースでまばたきをし、歯をガチガチさせ、あわてたのか

    後ろ向きに歩いて入って行くヤッくん。

    「はははははい、じゃじゃじゃじゃニーズ事務所しょしょしょぞしょぞしょぞ

    しょぞく、やくやくやくやくまるひろひろひろひろひろひでっっでーーーすすす。」

    真っ赤な顔で必死に喋ろうとするヤッくん。 

    「ヘイ ボーイ、緊張しないで。  ふるさとの事を想いだしてごらん。」

    審査員のマッハ文朱先生のやさしいアドバイスが心に沁みる。。



    4分後、審査室の中にはフッくんがいた。 「ヤモメのジョナサンと同じトルコと

    焼肉の街川崎出身、ふかわとしかずですみゃーー。」 フックくんはマッハ先生に

    言われるままに「朝起きたらおちんちんが後ろについていたのを発見した時の

    驚きよう」、「自分のおちんちんと会話する笠智衆」、「腹筋するおちんちん」

    などの演技を即興でやった。 最後に奴は「シーユーネクストウォーク!」と

    とびきりのスマイルで部屋を出て行ったっけ。 



    初夏の陽が少しだけ傾きかけた頃、部屋の中には上半身裸のモッくんがいた。

    「オオ、ジュテーム。。」「ウィ・ケスクセ?」「アアア、、、」

    部屋の中で何が行われていたのかは誰も知らない。



    (その2時間後、後にドラマメイトとしてYMFと合流する事になる三田寛子が

    審査員の前で延々と「ひとりオクラホマミキサー」を踊っていたと言う。)



    面接審査を終えたYMFはひっと一息。 フッくんとヤッくんはさっきからずっと

    腕相撲に興じている。

    「ズルいヤッくん、今のセンタージャンプ、オフサイドだぞ!」

    元気もりもりの二人を尻目に、妙に上気した顔のモッくんだけ、アイツの事を

    まだ考えていた。

    「ピンク山田、本名松平吉宗、大麻16年栄光のジャニーズ事務所を去る。。」

    その時、目の前に見覚えのあるハワイ顔の巨体が揺れていた。。

    「ハーイ、モッくん、元気ネ? ボクもオーディション受けたネ。」

    予想もしていなかった。 ピッくんは「半次郎先生」の「街のこわい人」役で

    面接試験を受けていたのだった。

    「相撲と役者の二足のわらじは大変だろうけど、頑張れよ!」

    ピッくんの肩を(ジャンプして)叩いて泣きながら笑顔を見せるモッくん。

    「ありがとうネ。」

    応えるピンク山田の瞳にも涙があふれていた。



    「アんだよ〜フッくん、フリーキックは3秒ルールだろ?」

    あの二人はまだ腕相撲に夢中らしい。



    その夜モッくんは一人、新宿の思い出横町で酔いつぶれた。 誰とも一言も言葉も

    交わさず、何かを忘れたいかの様にひとりうつむいたままで。



    時計の針が深夜を回った頃、モッくんはジャニーズの寮にたどり着いた。

    「わたしゃ酔ってませんよーーーだ。。ひっく」

    634(ムサシ)号室の鍵を開けて部屋に入ると、モッくんは人影に気付いた。

    「やあ本木君! 遊ぼうよ。」

    満面の笑みをたたえたジョンがいた。

    (続く)





    ■ シブがき隊外伝 ご
                        (2001年4月13日(金)00時02分)



    (前回までのあらすじ)

    色々あったが、どうもジョンはモッくんが好きらしい。 ある日モッくんが

    「半次郎先生」の生徒役オーディションから酔っぱらって寮に帰って来ると、

    部屋の中にジョンが立っていた。



    。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

    「柳に風、ってか。」

    酔った勢いで意味不明の言葉を口走るモッくん。 不意にジョンの方へ

    大股に歩き出すと、いきなりジョンを持ち上げ、お姫様だっこしながら

    寝室へ入って行った。

    「ある意味、自分を見つめ直すって言うか。。 いいぞ亀井静香。」

    ジョンもベロベロに酔っていた。



    翌朝。 ランバートン&レイノルズ広告社の電話のベルがけたたましく鳴った。

    「はい、こちらひまわり探偵団です。 おう、俺だ。。 何、殺し!?

    わかった、すぐ行く。よだれたらしながら待ってろ!」

    社長兼秘書のボブが向かったのはコリアンタウンのどまん中にあるスポーツバー

    「汗の匂い」だった。

    「いつものやつを」 ボブがジェスチャーで言うと、カウンターの奥から

    太っちょの、ビリー・アイドルにそっくりなおばあさんが出て来た。

    「アンタかい、マクリーンさんとこの大地君に余計な入れ知恵してるのは。」

    「ううっ」

    さて話は戻って1982(大麻18)年、ドラマ「半次郎先生」で人気の出た

    YMFに、案の定レコードデビューの話が来た。

    「やあヤッくんにモッくんにフッくん。 今日呼んだのは、君らも大体分かって

    いるだろうが、そうさなあ、ここに、一本の矢があるとする。。。(途中略)

    。。。  と、いうわけでだ、君たちは来月の3日、「じたばたシックスティーン」

    という曲でデビューが決まった。 ほ、聴いてみてくれ」

    何故か八名信夫が仮歌を歌ったデモテープをジョンは掛けた。 軽快なスカ・ビート

    に乗せたイントロに続いてダミ声の八名が頭のサビを歌い出す。。

    「じたばたするなよシックスティーン 今夜は朝までシックスティーン

     くにさだちゅうじはシックスティーン いきなもんだね16の夏(サマー)。。」

    たまらずヤッくんが口をはさむ。

    「すっげええーー、こんなかっこいい、ヤングのハートをガッチリつかむ歌はじめて

    聴いたよ! 旦那、こいつは売れますぜ。」

    やがてAメロが始まった。

    「泣かせるぜ 授業中に 歌丸の似顔絵なんて〜〜 (ホイ・ホイ)

     意外と 乙女チックだね 俺を好きかい 世紀末フラミンゴ・ブルー。。 」

    モッくんが言う。

    「抱いてやるぜ、って感じですね! おなかのあたりが燃えてきちゃうなあ。」 

    いよいよサビである。

    「ア〜ぁア ナイ・ナイ・ナイ ヨコハマ・すにーかーブルース∞

     つっぱるために 生まれてきたのさーー つけもの

    (女性コーラス:あげ玉ボンバー!)」

    フッくんが吹き出しながら言う。

    「こらあ、イケるたい。 おいどんが保証するとよ!」

    「こらあフッくん、ボクトツはまだ1年早いとよ。」

    突っ込みを忘れないジョンだった。



    こうして大麻18年の春、めでたくピンク山田のいない「シブがき隊」

    レコード・デビューが決まった。 レコード会社間での激しい争奪戦は、

    CBSソニーが米ライノに僅差で勝った。

    さて、大変なのはそれからである。 翌日からYMFの三人は、ヴォイストレーナーの

    牛麿先生について、基礎からのトレーニングに精を出した。

    「れろれろれ〜〜〜〜〜」

    ジャーン(ピアノの音)

    「れろれろれ〜〜〜〜〜」

    ジャーン(ピアノの音)



    「いい汗かいたな。 オロナミンCでも飲むか。」

    ボイトレの時間が終わると、三人はきまってロビーでオロナミンCを飲む。もちろん、

    腰に手を当てて、ちょっとそりかえって 未来を見つめながら。。 



    ところがその年の夏、日本中を揺るがす、ある大事件が起きた事により

    シブがき隊のレコードデビューまで延期となってしまった。

    大麻天皇が崩御したのである。

    (続く)





    ■ シブがき隊外伝 セブン 
                        (2001年4月24日(火)12時02分)



    元号が変わって軽率元(1982)年初夏の昼下がり、お台場の牛追いスタジオにて

    デビューシングル「じたばたシックスティーン」と B面の「ダメージをなくそう」(後にSILVAのカヴァーで有名)の歌入れをしていた。

    (マイク・ラヴ&キャプテン・センシブル・セッションの音はユンケルさん書かれた

    通りマスター紛失)

    「あなたに〜〜 ささげた〜〜〜 おんな〜〜〜のみさおなの〜〜〜〜〜」

    小粋に鼻歌を唄って緊張をほぐすヤッくん。

    「ばんとーえーじうぉおーー〜〜 なくうそおうおうおう〜〜」

    替え歌でユーモアのある所を見せつけるフッ君。

    モッくんは一人、陰毛あみだくじに精を出している。

    だが三人とも、涼しい顔なんかしちゃって、内心バクバクしているのだった。

    何故って、いよいよ「じたばたシックスティーン」最大の難所、最後のキメ台詞を

    3人順番にシャウトする段の録音になったからである。

    「はーい。 じゃ、オロナミンCも飲んだし、セリフんとこ行きまーす。」

    耳たぶに紅茶キノコのくんせいをぶら下げた加藤ディレクターの声がする。



    最初はヤッくんが持ち前のシブい声でキメた。

    「おいら気まぐれマドロスさ。一つの港にゃいられねんだ!」

    すかさず加藤D。

    「うーーん。 いいんだけど、「マドロスさ」のとこだけちょっと栃木なまりかな?

    「気まぐれ」の「れ」からもう一回行ってみようか」

    50回以上も栃木弁の「マドロスさ」を繰り返した挙げ句、55テイク目で

    ようやくOKが出た。 

    「ふ〜う、ヤッくん疲れちゃったぁ。」

    小川ローザ(オー!モーレツ)の格好でおどけるヒロヒデ。 可愛いな。



    さて、2時間半も待たされたモッくんは 一発で決めた。

    「ごめんよ、俺、女のコはちょっとダメなんだ!」

    ちょっと歌舞伎がかったボディアクションでシャウトするモッくんの姿に、偵察に

    来ていたジョンもシビれた。

    さて、事件が起ったのは最後のフッくんの台詞入れの最中である。

    ほっぺたを大きくふくらませる彼独特の深呼吸のあと、フッくんがマイクに向う。

    「板垣死すとも。。」

    その時、一発の銃声が響いた。

    (続く)




    ■ シブがき隊外伝 エイト! 
                        (2001年5月1日(火)02時16分)



    「セロフ!(伏せろ)」

    こんな時にも思わず業界用語で叫ぶジョン。 銃弾は牛追いスタジオの天井を

    突き抜けた。。 

    「ちくひょう、ザ・ポンプのやつらだ!」

    ジョンには分かっていた。 あまりに急なシブがき隊の人気上昇に危機感を

    抱いた、ザ・ポンプ所属する樺太役者塾の別働隊「ファントム・キラー」が

    挑発に来たのだ。

    「オ・レ・タ・チ ファントム・キラー!」

    彼等はいちいちポーズを決めて名乗ってから去って行くので有名だった。

    だが、ジョンにも考えがあった。



    さて、「じたばたシックスティーン」も予想通り大ヒットを飛ばし、

    1982(軽率元)年8月第一週のオリコン誌ではザ・ポンプの

    「シャケ弁ガール(君にすっとこどっこい)」や新井薫子の

    「チャーリー・ワッツ音頭」を押さえて堂々の第一位をゲットした。

    (注:本当のシブがき隊はデビュー曲でオリコン一位を取ってはいません) 



    レコーディングと並行し、シブがき隊初の主演映画「若いヤングでぶっ飛ばせ

    (ボーイズ&ガールズ&ジョン)」の撮影が始まった。 これが黒澤明最後の作品

    となった事は有名である。 この映画の詳しい話は、あとでゆっくり。。

    さて、

    続く二枚目のシングル「十割。。。そうですかね!? C/W やめなさい、この野郎!」

    も崎陽軒シウマイのCMソングに作われるなどしてやはりスマッシュ・ヒット。

    A面の「十割。。」は米国のスカコアバンド、テンプテーションズの「毛唐レディ」

    のリーパクとも騒がれたが、それはまあ、そういうアレで、アレだった。

    それよりもB面の「やめなさい、この野郎!」は、フッくんのミャーミャーイズム

    ここに極まれり、と言った感じのバカっぽさに溢れたヴォーカル・ワークが素敵な

    隠れた名曲としてファンに愛された。 

    押しも押されぬ売れっ子となった三人は、当時の人気TV番組、「ザ・上位十曲」や

    「ゲバゲバ皇室アルバム」などに出まくった。 

    サードシングル、「どたばたセブンティーン」も好調だった。 (この曲のサビの

    ♪ラップしてZIPしてフリージングしてチン!よ♪ の部分は後にサランラップの

    CMでカヴァされた事で有名。)

    ところが、いつしかファンの間では、「どたばた」よりむしろ裏面の

    「いいじゃんやらせろよ節」の方が威・華・壽・贅(イ・カ・ス・ゼ)という説が

    広まり、やがてこのシングルは前代未聞の両C面扱いとしてジャケットを替えて

    再発売された。 (再発後のジャケットではヤッくんとフッくんがキスをし、

    モッくんは鏡の中の自分とキスしている)

    もはや向かうところ手品師、もとい敵無しの三人。

    「おれたち、まるで三田明かスパイダースみたいだな!」

    妙にズレた事を言うフッくん。



    ある夜、「ある決意」をしたジョンは樺太役者塾の事務所に入って行った。




    ■ シブがき隊外伝 ボインの反対でナイン
                        (2001年6月21日(木)21時50分)



    さて、色々あったが、シブがき隊の4枚目ep 「処女的非処女

    (ヴァージンかと思ったらショック!) c/w 踊って鎌倉幕府(カモフラージュ)」

    がまたも大ヒットをかっ飛ばしている頃、世界では漢の武帝と組んで

    アッシリア帝国を滅ぼしたアッバース朝が西ゴート人の迫害(租・庸・調)を受け、

    ちょうどルネッサンスの華がマンチェスターのボルジア家中心に栄えている所

    だった。 これを「黒田アーサーの乱」と呼ぶが、陰の首謀者は牛の吉田君だった

    と言われている。

    モンゴル人の襲来に怯えながらも元禄文化を謳歌する軽率二(1983)年の日本

    の歌謡界では、一つの新しい勢力が勢いを付けつつあった。 新進気鋭の若手

    プロデューサー、ちんこ(元スカコアバンド「ショ便Q」ヴォーカル)である。

    ちんこの目にとまった若い女性(ほとんどが10代)によって結成させたグループ

    「ファッキング娘;」は、インディレーベルからのデビューシングル「尼寺」こそ

    あまりヒットっしなかったが、続くシングル「サマーナイト尼寺」、「私鉄沿線」、

    「ギャランドゥ」などが売れに売れ、メンバー最年長の中澤ピー子ソロや、

    別働隊の3人組「ぞうり虫」やシャブ漬けのメンバーだけで結成された「シャブモニ」などもヒットを飛ばし、

    後に金髪13歳の最年少メンバー後藤金玉(通称ゴトキン)が加入して最初の

    シングル「命(LOVE)マシーン」は1,200万枚と記録的なヒットを記録。 

    小太りを、もとい飛ぶ鳥を落とす勢いだ。。 



    ある日ジョンは、京急蒲田にあるちんこのオフィス「オフィス竿(さお)」を訪問。

    「ちわー、米屋でーす。」

    無意味にも米屋のふりをしてドアを開けるジョンだった。

    (続く)





    ■ シブがき隊外伝 テン・テケテケテン(ミッシー・エリオット) 
                        (2001年7月4日(水)21時24分)



    シブがき隊中興の名曲と言うべき5枚目のシングル「ZEKKEN命(ゼッケン・ラヴ)」

    忘れられないファンも多いだろう。 人生4(1989)年カーネギーホールで行われた彼らの解隊ライヴ

    「ジゴロに涙は似合わない」で最後の最後のアンコール曲として大勢のファン涙の中を駆け抜けて

    行ったのもこの曲だった。 

    タイトルの通り、この曲を歌う時は(この曲に限り実質的にリードヴォーカルである)ヤッくんが

    毛筆で「命」と書かれたゼッケンを背中と腹に付けている。

    尚、モッくんのゼッケンには「男」、フッくんのゼッケンには「鳴」と書いてあったのを憶えている

    人も多いだろう。

    歌詞はこんな感じである:

    あの娘が見てるぜ F1グランプリ・モナコ (Baby 酒持ってこい)

    青ノリ付いてる お好み焼き食ったぜ・モナコ (Baby 嘘さ)

    夜の酒場で ギターを弾いて (モッくん セリフ:お客さん、一曲いかがですか?)

    苦労かけたね やつれたお前の 砂かけババアキッス (オーラーイ!)

    天使の言う事にゃ オイラのエレキは早乙女クール だんご三兄弟 オーレー!

    グッとシビれてGジャン抱き寄せた 惚れちゃいけねえ人妻ゆえにーー

    シェイク!

    (フッくん セリフ: ゲットー育ちの俺達(ニガー)だから 人のやさしさ身にしみたのさ)

      加藤茶! ハゲヅラ抱きたい

    オッとっと!

    ゼッケンが取れちゃった

    ちゃんと付けてくれよ (コーラス: 取れちゃったぜ 純情(マジ)だぜ)

    最上級の惚れかたさ

    お前の名前はーーーーー

    和子!



    最後の「和子!」の所(実はモッくんだけ「一樹(かずき)!」とシャウトしているのだが)で3人同時に

    それぞれのゼッケンを客席の方に放り投げる、というパフォーマンスでもこの曲は有名だった。

    (ちなみにB面は、なぜかフッくんの実父が歌う(これがフッくんと区別つかない)「酒ごころ」である。)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    さて、話は、プロデューサー「ちんこ」の事務所、「オフィス竿」へとやってきたジョンに戻る。

    「早速ですが、実はわたくし、某超大手メジャー芸能事務所の社長をやっているジョンですが、

    ちんこさんのプロデゥースしていらっしゃるマイナーなユニット「エロ本記念日」のメンバーになりたい

    んですけどどど。。」

    語尾だけどもるなんて珍しい、でもそれがジョンだ。

    (続く)





    ■ シブがき隊外伝の外伝 1  飛び出せ!モッくんの巻 
                        (2001年11月22日(木)19時38分)



    毎週木曜日深夜25:00からの30分は、FMバッチリ「飛び出せ!モッくん」の時間だったさ。

    モッくんがピンで司会を務めるいかした歌謡おしゃべり番組で、YMFファン、

    特に「モッキスト」と呼ばれた、俺達熱心なモッくん好きは毎週欠かさず聴いたものさ!



    「ハーイ、みなさんこんばん和久田竜! 毎週モッく曜日の夜はもこもこモッくんが

    モッくりモコっとお送りする、深夜のスーパーミッドナイトエクスプレス、

    「飛び出せ!モッくん」の時間だよ! みんな、最後までモッくり聴いてくれ、

    アイウォナビーウィドゥユートゥナイ!」

    この、毎週変わらないいかした前振りで始まる番組で、あの頃の俺達は最新の

    ロンドンやニューヨークの音楽情報を仕入れていたもんさ。

    「それではきいていただきましょう、前田ピューで「かかしロック」、ヒューヒュー!」

    見かけによらぬバカっぽさがモッくんの魅力だった。

    「デゲデゲぴゃらりろデゲデゲぴゃらりろ、うーーん、、いいっでっすねえー、

    最近の前田ピュー、たぶんねえ、ブロンスキ・ビートやビートルズが好きな人には、

    気に入ってもらえると思うんだけど、このねえ、なんって言うのかなああー、、 

    ブレークダンスって感じ? ナックのマイシャローナみたいな、ちょっとジャズみたいな

    雰囲気があるよね。 シャーデーっていうか。。」

    そこに、FMバッチリのアナウンサーの声が入るんだよな!

    「本木雅弘の「飛び出せ!モッくん」、この番組は、日本共産党の提供で、

    全国24局ネットを股に掛けてお送りいたします。」

    CM: 「マリ子、父さんはな、何もお前のお風呂をのぞこうと思ったわけじゃ。。」

        「いいのよお父さん、それよりどう?今の日本の政治って。。」

         (以下略)

    「あらためましてこんばん輪島相撲界復帰! シブがき隊の優等生、モコモコ王子こと、

    本木雅弘モッくんでえーーーす。 なんかね、さいきん僕がね、ラジオで聴いてると

    バカみたいだなんてね、声もねえ、聞こえてくるんだよね、アハハッ、 なーんだよ

    清水さん(ディレクターとふざける)、そうそう、なんだっけ、じゃなくて、はい、

    そうです、気をとりなおして行きま小学生には手を出すな、なんちゃって(照れる)、

    はい、ええっとですね、そうそう、なんだっけ、ハイ、、  ええ毎月第三モッく曜日

    と言えば、はい、  (大エコーで)「しっとりモコモコ下ネタ大好きコーナアーー」

    と言うわけで、皆さんから出来るだけ下品な、下ネタのお葉書をいただいておりますが、

    ええっと、本日の一枚目は、、、 ゴッオ(ゲップの音)、えっとねえ、はい、

    東京都北区にお住いの、ペンネーム(当時はラジオネームとは言わなかったぜイエイ!)

    、ええ、ペンネーム スカトロうんこババアさんからいただきました、しっとりモコモコ

    下ネタのお葉書です。 (エコー)「モッくんこんばん悪あがき、はじめてお便りします。

    みなさん、エッチな汁といえば、何を思い出しますか? (以下略)」



    続く




    ■ シブがき隊外伝 その横浜いれぶん
                        (2001年11月26日(月)22時10分)




    初夏特有の、酸っぱいような黄色い木漏れ日が、目に痛かった。

    「おうし、「ゼッケンLOVE」の次のお前らの新曲はこれだ、「シャローム!上玉(じょうだま)」だ。

    そうだ、メルヘンチックなタイトルだろう。」

    ジョンの片腕と言われた男、佐藤イチローはそう言いながらやって来た。 思わず息を呑むYMFの三人。

    「うへえ、上玉とはこれまた古いでないかい、しかもヤクザな花柳界用語でないの。」

    たまたま芸者の格好をしていたモッくんが裏声で言う。

    フッくんとヤッくんは思わず見合ってしまったが、やがてヤッくんが吹き出した。 フックくんの鼻の上に、

    お昼に食べた弁当のとんかつの衣がべろーんと貼りついていたからだった。「ボケてるね!」ヤッくんは

    目でそう合図した。「いけねえや!」と目で返事をするフッくん。

    そんな三人を無視する様にカセットのプレイボタンを押す佐藤イチロー。 両腕に大鵬と柏戸の刺青が彫ってある。

    当時42歳。。

    「シャローム!」

    いきなりヘブライ語で「こんにちは(元は「平和」の意)」を意味するその言葉のシャウトから始まるその

    デモテープは、例によって作曲家のエロティック井上先生の録音した仮歌の上に、勝手にジョンがハモりを

    かぶせているもので、おまけに所々思い出したように「阿部ちゃんインザハウス!」などとBボーイ気取りの

    シャウトを挿入するので始末が悪い。

     

    「ケツまで行けたらgay夢(ゲイム)は延長! (←苦しい洒落だぜ)」

    そんなちょっぴりホモセックシュアルな匂いのする刺激的な始まりの歌詞はなかなかフロア受けが良さそう

    だった。

     

    しかし、Aメロの歌詞の

    「金大中の鼻の穴にピーナッツがふたつ」

    は、逆にあまりに政治色が強すぎて、まるでこれではURCの高石ともやではないかとの批判も上がった。

    極めつけはサビの決めフレーズ、当時社会問題となっていた「加熱するステージ・ママ症候群」を皮肉った

    「ジャニーズ事務所に合格出来なきゃ ここまで育てた意味が無いのさ」

    である。 この部分で、YMFの三人はジャニーズの象徴である「バック転」をキメる事によって「ジャニーズ事務所」を

    表現するはずだったのだが、何しろ彼らにはバック転が出来なかっただで、代わりに、

    もう一つの「ジャニーズ事務所の象徴」である「バック」のポーズをする事によって無事「ジャニーズ」を表現する事に性行、

    もとい性向、いや 成功している。

    そして最後の大サビ;

    「熱いぜ(ヘイ!) 尺八(ヘイ!) 火花が散るほど

     激しい(ヘイ!)この事務所(ヘイ!) 日本芸能史に残るさー」

    では日本芸能界のタブーすれすれの事を歌っており、危なく一大スキャンダルに発展しかねない所だった。

    作詞を担当した森雪農場先生も、「ここまでタブーに挑戦したのは初めてだね。あれ以来、危なくておちおち

    夜も眠れやしなかったので昼寝をしていたよ。」と満足げに(後に出演した深夜TV「たほいや」で)語っていた

    程である。



    「ちょっと冒険だったけど、大衆はスリルを求めているんだ。これくらいで丁度いいのさ。」

    心の中でつぶやいたジョンは、今夜三つめの噛み煙草をやりながら、サンセット大通りを三宿の方に向かって歩いた。

    「そうさ、これでいい。 これでいいんだ。」

    ジョンの横顔には自信が漲(みなぎ)った。 



    B面の、ロック色の強い「モッくんモッこりモーホさ」も評判が良く、シングル「シャローム!上玉(じょうだま)」は

    無事、「ゼッケンLOVE」にも匹敵する大ヒットを飛ばした。 YMFの三人は当時おばけ視聴率を誇った

    「ジ・ベスト・テン」や「早朝のヒットスタジオ」などに出まくり、ヤッくんは合間に共演の女性アイドル達とやりまくった。



    ところが、この「シャローム」という言葉が後に大問題の引き金を引く事になるとは、このとき誰も気付いていなかった

    のである。 まして、その次に起こる悪夢の様な出来事は、誰にも予言出来なかった。 お釈迦様でさえ、である。

    (つづく)





    ■ シブがき隊外伝 そのセンチメンタル12 
                        (2001年11月27日(火)23時45分)




    「シャローム!上玉(じょうだま)」は、当初

    「サローム!上玉(じょうだま)」になる予定だった。「サローム」とは

    アラビア語で「こんにちは(元々の意味は「平和」)」を意味する言葉で、

    英語で言うところの Hey! に当たる。 お分かりかと思うが「サローム」は

    イスラエルの公用語であるヘブライ語の「シャローム」と同語源の言葉なのだが、

    それぞれ敵対する人々が使っているというわけである。

    さて、当初ついうっかり言葉の響きにひかれて「サローム!上玉」という

    タイトルにしてしまった森雪農場先生及びジョンだったが、折りしもその頃

    最も過激な反米イスラム過激派のグループでと言われ、アフガニスタン南部に本拠地を持つ

    「極悪怒紅露団(ごくあく・どくろだん)」こと通称「黒とかげ」の活動が活発化の

    兆しを見せていた事もあり、イスラムを想起させるアラビア語のタイトルはマズいのでは

    ないかという意見が当時(軽率2年)の池田勇人首相などから出された。 また、

    日本の国際的立場から鑑みても、日本の叔父に当たるとも言えるイスラエルの側に

    取り合えず付いておく方が得策と見なされ、結局衆議院特別委員会の決定を踏まえた上で

    ヘブライ語の「シャローム!上玉(じょうだま)」の方に落ち着いたのであった。

    そんな不穏な国際情勢の中、とうとう悲劇が起こった。 東京都台場区お台場にそびえ立つ

    ツインタワー、280階建の世界芸能センター(WGC)に、何者かによってハイジャックされた

    米国のスペースシャトル「シルベスター・スタローン1号、2号」が二機続けて

    突っ込んだのである。 死傷者推定14万人を出したこの事件は恐怖と悲嘆と抗議の声と

    共に世界のメディアをあっと言う間に席捲した。 しかし真犯人は闇の中である。

    ところが当時首相だった小純泉一郎(こすみ・せんいちろう)(59)は、同じく当時外務大臣の

    子泣き真紀子(62)と共に、敵を「極悪怒紅露団(ごくあく・どくろだん)」こと通称「黒とかげ」、

    及び彼らに闇の資金を援助しているとされる、テロ組織闇のボスと目されるサウジアラビア出身の

    ジョニー下駄川(44)を敵と決め付け、アメリカ軍、国連軍の援助を受けた上で自衛隊を

    アフガニスタンに送り込み全面戦闘状態に入る事を決断した。

    この危機的状態に華を添えたのが、「シャローム!上玉(じょうだま)」に続くシブがき隊

    第7枚目のEP「挑発自衛隊」だ。 B面は「WXYZ(うつくしいぜ)←なかなかいいでしょ

    このシャレ)」である。

    ♪ ワルならば飽きるほど やりつくした俺でも

    ♪ 高層ビル爆撃は まだ やってない

    そんな哀愁漂う、本当は悲しいヒット曲だった。

    (つづく)







    ■ シブがき隊外伝・そのゴルゴ13(書き直し!!Version)

                        (2004年1月13日(火)20時07分11秒)





    スキャンダルにまみれたヒットシングル「挑発自衛隊」が煽る形でとうとう日本が誇る自衛隊はイラクへと上陸した。

    隊員達は「私たちは挑発しに来たのではありません。「挑発自衛隊」というのは日本のシブがき隊という歌の下手な

    コーラスグループの曲に過ぎません。」という意味のアラビア語を文字通り必死で覚えた。

    何しろ自爆テロリストかも知れない者がこちらに迫って来ても、この前置きを全部言い終わってからでなければ

    威嚇射撃すらしてはいけないという決まりがあったのだ。その影響で、生きて還った自衛隊員はそろいもそろって

    凄まじい早口になっており、頭の回転を良くすると評判の「速聴」のナレーターに引っ張りだことなった。

    あまり知られていないが黒柳徹子もこの時の帰還兵である(64へえ)。



    しかしイラクの治安は一向によくならない。日本軍(軽率3年自衛隊から改称)の

    犠牲者が続出すると政府は国民の士気を上げる為、シブがき隊に日本男児の魂を

    鼓舞するべくパンチの効いた男らしい歌をシングルで5枚続けて出す様命令。

    当時の総理大臣小純泉一郎(こすみ・せんいちろう)の名台詞

    「僕はX JAPANに恋している。だけど、シブがき隊は愛しているんだ。」が決め手となり、

    シブがき隊とジョンズ事務所はこれを快諾。 この時の朝日ジャーナルインタビューでの

    YMF三人の受け答えが三者三様である。



    薬丸「やっぱ俺も男なんで、愛する人の命を守るために、戦わなければならない時もあるんです。」

    本木「僕も男なんでね、男なら誰でもいいってわけじゃないんです。」

    布川「この世に男と生まれたからにゃ、一度は飲みたいワカメ酒、ミャー。」



    ある木曜日の真昼、ジョンズ事務所第四秘密室にて。 

    ジョンの靴音がいつもより厳しげに響くと、YMFの3人もぐっと厳しい顔で黒いトレンチコート姿の社長を迎えた。

    薬丸は顔に力を入れすぎてカトちゃんの歌舞伎役者の顔になっていた。



    「うっ、険しい顔の本木君もまたイッカすぃ〜」



    心の中でそう言うと、ジョンは早速本題の話を切り出した。



    「ええっとなんだっけ、そうそう例の「日本男児五部作」であるが、集まってもらったのは他でもない。

    現在我が国の、そういうわけだ。わっはっは。」


    全てを理解したYMFの三人は早速、戦地に赴く若き兵士の気持ちで、「五部作」第一弾のレッスンに着手した。



    題して、「ハラキリ・ジャッポン」。



    (つづく)







    ■ シブがき隊外伝・その14フルーツ 
                        (2002年11月26日(火)13時10分42秒)



    「話が違うじゃないですか!」

    いつも冷静なジョンが真っ赤な顔でデスクを殴りつける。

    「いや、違うんだよジョン君、聞きたまえ。 菅沼興産の権利は、ワシがきちんと

    握っておるだで、誰にも手出しは出来んとよ。 ま、ブランデーでも一杯やって

    落ち着くことだ。」

    (有)アリババ不動産社長、セレナーデ伊東はジョンの冒険心に心底敬服していた。

    「まずはそのとってもポマーディーな頭をなんとかしてください。話はそれからだ。」

    問題は、モッくんが事もあろうに芸能界をやめてプロのレースクイーンになると言って

    聞かない事だ。

    「ジョン社長、僕は、小さいころからの憧れだったレースクイーンになります!

    もう試験も受けて合格しました。 年齢制限があって、来年はもう試験を受けられない

    んです!」 

    モッくんは、照れを隠すためかアントニオ猪木の口調で告白した。

    「し、しかしそれでは我が栄光のYMFことシブがき隊はたったの二人組になってしまう。 

    TLCの真似をしたと言われるのは火を見るよりも明らかである。」

    たまたまウルトラマンパジャマを着ていたジョンも抗議する。

    「それにだねえ、だいたいお前さん、おととい歌入れしたばかりの、我が栄光のYMFこと

    シブがき隊最新シングル「J.K.インマイアスホール」はどうなるんだ!」

    もともと洋楽のカバーである「J.K.インマイアスホール」は、シブがき隊にとって

    「ボーイズ&マン&ガールズ」、「小型蓄音機(ヘッドフォン)ララバイ」に続く手淫もとい

    主演映画「バカB.C.」の主題歌で、煮出しこんにゃくをかじる様なノリノリのディスコビートが

    売りだった。

    後に世に言うYMFのいわゆる「日本男児路線」こと

    「ハラキリ・ジャッポン」に始まって、「暴(ドスコイ)!」、「カッポレ!ウタマロ」、

    「てやんでぇ!間男(ズィゴロ)」、「男勃ッ起!」に続く久しぶりのアメリカン・テイスト

    が新鮮だ。 

    ♪ OKカモン 青春は 軽井沢のみやげ物屋に似ているね

      探せば 探すほど 地平線の彼方さ

      

    ここでヤッくんが黒いマントをひるがえすアクションに日本国民はシビれた。

    ♪ するってえとナニかい J.K.青春って

      はかない パンツだね

      洗わないから 干すこともない

    (以下略)



    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    「だから、僕はもうステージの上でお人形のようにとんだりはねたりはイヤなんだ!

    もっと、プロのレースクイーンになって、鈴鹿サーキットの牛串はフジロックのもち豚よりも

    もっと美味しいだぞ、って事を業界中にアッピールしたいんです!」



    一瞬あって、

    「待て、本木。 お前は、巨人軍の元木を知っているか。」

    「クセ者ですか。」

    「そうだ。 じゃあ、元木の出身高校はどこだ。」

    「PL学園だと思います。」

    「そうだ。 では聞くが、芸能界のPL学園と言えば、どこかな?」

    「はい、それはジャニーズ事務所です。 あっ、しまった!」

    美少年はジョンの罠に落ちた。

    (続く)






    ■ シブがき隊外伝 その恋愛15志村けん  

                        (2004年1月30日(金)16時09分42秒)





    自衛隊改め日本国軍将兵と、その予備軍である若き日本男児達(35歳未満)の士気を鼓舞する

    ために制作された「ハラキリ・ジャッポン」は、惚れたお前に振り向いてもらえないなら

    切腹する覚悟だぜ、だから俺の首はお前が斬ってくれ、というコケティッシュな内容で、正に

    「俺は男だ」と自覚するっきゃない感じのいい歌だった。



    しかしこの歌の歌詞がまた一悶着巻き起こす。



    まず、出だしの「Oowa Sawa Yeh Yeh」という、特別参加のホセ・カレーラス(人気癒し系

    グループ「3大テノール」のメンバー)によるエキゾティックな掛け声にクレームがついた。

     実はこの部分が偶然にもガチャピン語で「お前等全員ぶっ殺すぞ」の意味の言葉に聞こえる

    というのである。折りしもガチャピン共和国と日本との間には北朝鮮派兵やモー娘。メンバー

    脱退の順番を巡って緊張が高まっていた時でもあり、政府はこれに対し慎重な対応を取る構え

    を見せた。 



    アルジャジーラのインタビューを受けたガチャピン共和国のムック大統領は流暢な日本語で

    まくし立てた。

    「ワターシワ、ニッポノ、ゲイシャ、スッキデ〜スネエィ、ダッケレドーモ〜ゥ、ニッポノ、

    キタチョーセン、ヘイタイ、オックリマスノコト、ヨックナイノコトデスカラア〜、キョウワ、

    ショウブパンツデェ〜ス。」



    既に106歳と高齢のムック大統領は大のプログレマニアとしても知られ(

    著書「ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイターの全て」は有名)、

    特にピンクフロイドの「渚のプログレパーティー(原題:Atom Heart Mother)」や

    Yes「破壊王の逆鱗(原題:Fragile)」の番日本盤帯付き美品を西新宿のVINYL一号店で

    ゲットした想い出などもあり、日本、特に吉原には格別の愛着を寄せていた。



    「ムック大統領のお怒りはごもっともです。今度一緒に吉原でも行きましょう。」

    小純(こすみ)首相はトレードマークの真っ赤なレオタードに身をつつみながら

    小粋なリップサービス。



    しかし心の中では

    「ちぇっちぇっちぇっ、これしきの事で我等がシブがき隊の快進撃がストップされて

    たまるかい! テキトーに謝っときゃいいんだテキトーに。ビバ腰抜け外交!」



    ちなみに「ハラキリ・ジャッポン」は完全24ビート(シャッフル系16ビートとは違う)と

    いう珍しい曲でもあり、また当時の流行だった「テケテケしたベース」を全面に押し出している

    のも特徴だ。(このへんマジ)



    (つづく)






    ■ シブがき隊外伝 その NAI NAI 16    
                        (2004年1月30日(金)17時57分37秒)





    さあ、あと2回で日本男児シリーズをまとめなきゃならなくなっちゃったんで、

    急いで(!初恋)行かなけりゃいけません。



    日本男児尻ーズ第二弾シングルとして出たのが「暴(どすこい)!」だ。



    当時の日本はしばらくぶりの大相撲フィーバーだった。 

    史上初の南極出身横綱「白夜熊(びゃくやぐま)」は素行こそ悪いものの圧倒的な

    闘志剥き出しの猛烈アタックが豊かな暮らしに慣れてしまった日本人力士達が失った

    「素敵なサムシング」を感じさせると言うので大人気。南極組では他にも期待の前頭

    「極限龍(きょくげんりゅう)」、まだ幕下ながら相撲センスがある「辺吟(ぺんぎん)」

    などがいた。何と言っても南極と言えば南極相撲の本場だ。

    (尚、同時期に前頭の中堅ながらその人間味あふれる表情とパフォーマンスで

    白夜熊をも凌ぐ人気を誇ったのが青森出身の「六ヶ所核(ろっかしょかく)」だ)



    さて、イントロもなく唐突に「んんんん〜〜〜〜〜〜 どすこい!」という

    まるで地の底からの様な唸り声で始まる「暴(どすこい)!」は、AメロBメロと途中までは

    幾分「しんみり」とさえ言える程のセンチメンタルフィーリングだが、

    「バッカーだーぜっ!」と小声で吐き捨てた途端、本当にバカみたいなミャーミャー

    お祭りサンバ調のサビに突入。それでも足りず最後は「土俵(マジ)にさせる

    金星(オンナ)だぜ!」とかなんとか、過ぎし日の女性を想う切ない歌の筈がすっかり

    ヒーローもの主題歌の様な見得を切るというYMF昔ながらの王道パターンに戻る。

    ジャケットの男前振り(特にモッくん!)は特筆系。



    さて文字数あんまり取れないんでさっさと行きましょう。

     「Gジャンブルース」と言えば「A面よりB面の方が有名になっちゃった曲(後に両A面)」

    としてあまりにも有名だが(おっとあぶない外伝では「いいじゃんやらせろよ節」でした)、

    日本男児尻ーズ第三弾シングル「カッポレ・ウタマロ!」は「表ジャケより裏ジャケの方が

    16倍素敵なシングル(後に両表ジャケ←嘘)」としてあまりにも有名である。でもここで

    詳しく書くと軽く4話分ぐらいは食ってしまうので割愛(キャッツアイ)! 各自探して

    チェックするように!

    今となっては全然地味なネタですが、当曲のイントロは地味顔ビジュアル系&

    若造り年増アイドルのはしりだったハワードジョーンズのヒット曲のモロパクリですね。

    あと特筆すべきところでは、YMF歌中の名台詞としては「もう迷わないぜ、抱いてやる!」

    あたりと一、二を争うであろう「渚絶句!」が登場します。ジョンさんの

    自叙伝タイトルにもなった「君の初めての男(に)させてくれ」もこの歌ですね。

    「裸で恋の相談させてくれ」なんてのも。とにかく素敵な言葉達のタペストリー。

    てゆっかこの曲にはシブがき初めての「セルフパロディ」の匂いがちょっとするかも。。



    なんか普通の曲説明になってるなあ(笑)。でもこのシングルに関しては

    千の言葉を並べつらうよりも、実物(の裏ジャケ)を見た方が100倍面白いから。

    頼みますよ、ひとつ。



    (つづく)






    ■ シブがき隊外伝 そのZIG ZAG セブンティーン(この手をのばして アォ〜〜〜ン)  
        
                        (2004年1月30日(金)17時57分37秒)





    続いてリリースされた日本男児尻ーズ第四弾「てゃんでぇ!間男(ズィゴロ)」になると、

    これはもう、露骨なセルフパロディと言ってよかんべ。

    何と言っても歌詞に登場するレトロな言葉の数々「あたぼうよ」だの「合点承知のコンコンチキ」だの

    「モダンカフェー」だの「ナウなキャプテンシステムでニューメディア」だのの畳み掛けは

    瞠目に値する。 いかにも「シブがきが歌いそうな歌詞」を第三者が冗談で作り上げた様なコンセプト。 



    しかしここまで「おふざけ」を全面に出してしまうと、

    「日本男児シリーズ」本来の目的であった「イラクや北朝鮮で戦う日本軍の士気を高め、

    出来れば金正曰体制を倒し朝鮮統一、ついでに中国領土内の朝鮮民族居住地域を併合し

    「大朝鮮」を建国する事によって、サッカー韓日戦広告で日本の地図をわざと

    大阪より東を全部カットして韓国の方が広く見える様にして誤った地理認識を子供たちに

    植え付ける事をやめさせたり、いちゃもん付けて来るのを少しでも減らす」というテーゼが

    曖昧になってしまう惧(おそ)れがあった。



    その上、前作までは「日本男児尻ーズ」(略して「男尻」)とは言え以前のYMFと同様、

    将兵達の士気を鼓舞すると同時にやはり一応切ないラヴソング(笑)あるいは少なくとも

    ラヴソングの形を借りたヤリたいだけの歌の形態をなんとか保っていたのが

    「てゃんでぇ!」になるともうなんだかワケがわからない、ヤリたいのかどうかさえ曖昧と言う

    とんだ代物になってしまった。 



    そんなわけで、続く「男尻」最後の第五弾シングルは四の五の言わんとストレートに、

    「男勃ッ起!」というタイトルに決定。

    古い日本を感じさせる言葉(「ぬばたま」「いとをかし」等)を随所に折込みながらも

    戦車の砲台を男性のペニスに見立て「敵要塞に突っ込め!」と煽り立てるこの歌は、

    折からのEDブーム(当時のサッカー日本代表監督ペレや人気癒し系歌手エルヴィスコステロなどが

    CMに出演し勃たない事を自慢した)によって「勃たない事がかっこいい」という空気が

    日本中に蔓延(東大阪市を除く)し始めた事を危惧する日本政府の思惑も絡み強力に

    プッシュされ、久しぶりに「ヘッドフォン」調のイカした曲だったが運悪くちょうど日本軍の

    ミッドウェー海戦激敗及びナップスター等mp3業者の台頭と時期が重なり売上はもうひとつ。




    この時ジョンの頭にひらめいたのがかの奇策「落ち目3部作」作戦だった。 

    今でもマーケティング理論の教科書に事例として必ず出てくるこの手法は後に

    カルロス・ゴーンが瀕死のオメガトライブ自動車を再生させた時にも応用され再び脚光を浴びた。
     



    果たして「落ち目」作戦とは。。



    (つづく)







    ■ シブがき隊外伝 そのシュワッチ(18)  

                        (2003年10月 9日(木)23時37分52秒  )




    さて話は前後するが、、自衛隊や石原慎太郎とのタイアップもあり

    「ハラキリ・ジャッポン」「暴(どすこい)!」「カッポレ!ウタマロ」

    「てやんでェ!間男(ジゴロ)」と続いたいわゆる『日本男児シリーズ』の最中、

    YMFはちょっとした転機を迎える。転機と言っても当時は「ちょっとした気分転換」(Change Of Pace) と

    見られ誰も大した歴史的意義を認めていなかったが(多分今もそう)、

    後のYMFいわゆる「第二黄金期」を演出する「あの曲」の伏線となるシングルをズロース、もといリリース。

    NHK(日本ホーモー協会)の子供向け人形劇「俺達の欲望」オープニング主題歌「ネズミ共に唾を吐け」は

    子供達(アイドゥル)とアーコーなワンフー以外には正規のYMFソングとして

    認められなかったきらいがありチャートアクションこそ振るわなかったものの、

    NHKとのコネクション作り(後の「あの曲」へとつながる)、そして何より

    表ジャケに写る「子供向けに面白い顔をしようと必死の3人」の姿が

    ファン達の涙を誘いまた後のコレクターズアイテムとしての価値をも高める結果となた。

    面白い顔と言っても流石に個性は三者三様で、

    どんなに面白い顔をしても男前になってしまうモッくん、

    普通にしてるのになんとなくおもしろいフッくん、

    そして無理に面白くしようと必死で顔を作る旺盛なサービス精神が裏目に出て

    まるで水死体の様な顔になってしまったヤッくんと、

    人生ってヤツと銀座の女はままならぬものであると言う事を

    まざまざと見せつける結果となった。



    「ネズミ共」ジャケットでの失敗を教訓に、ジョンは思う。


    「いかにも面白い顔でございってのは、エノケンの時代じゃあるまいしもう古いんだな。

    よし、次の正規シングル「カッポレ!ウタマロ」のジャケットは、もっとこう、

    なんていうかな、微妙〜〜にくすぐったくって、ファーストキッスの後に

    バナ〜ナの皮をふんでずっころんじゃったみたいな、そんななんともこそばゆいんだけど

    どんな朴念仁でも噴き出してしまう様な、そんなイマっチい、そんな、そんな歴史に

    残るさ!って感じのアレで行くしかないさ。」




    かくしてジョンズ事務所創設以来の一大プロジェクト

    『カッポレ!ウタマロ絶妙にオカシいジャケット撮影するぞ!お前が全てさ(略称「お前」)』が始まった。

    まずジャケットのコンセプトを決めるのに電痛・博報働・白クマ広告社等錚々たる

    メジャーどころがプレゼン参加しまくった。電痛のアイデアはこうである:

    まず適当なジャージ着用のヤっクンが画面左上方で白目をむいて

    口をだらんと開けながら鼻くそをほじくっている。次に画面右下方で

    モっクンが「歌舞伎の癖が抜けない役者」をやる時の加藤茶の顔をしながら

    プッチンプリンをたべようとしている所。最後に画面真ん中でフッくんが

    「お前だけだぜ!」な顔で正面を向いているというものだった。ところが

    これを知ったヤッくんの後見人である酒井マスターキー氏が「俺のクスリマルに

    そんな汚れはやらせねえ」と劣化ウランの如く怒ったため頓挫。 

    また博報働の案ではヤングペットの「桑の実赤い実故郷の実」ジャケ

    (幻の名曲解放歌集『ニャオニャオ甘えて』のジャケに転用された事で有名、ちなみに

    「桑の実〜」はほんとはシングルB面曲)をYMFの3人でやろうというなかなか気の効いた

    ナニだったが著作権問題でこじれる事が懸念されまたも断念。白クマ広告社の

    「YMF3人それぞれの顔真似をしたおりも政夫が3人写っている」という奇抜な発想も

    おりも氏の個人事務所「おりもエンタープライズ」(そんなのないと思うけど)の抗議に

    より流れた。曰く「せっかくぶらり途中下車で庶民派ぶらりタレントとしてのイメージが

    固まったおりもに、そんなコロッケみたいな仕事はさせられん」と。



    そこに不意に現れたのがダークホース、「横山うっかりエージェンシー」である。

    社長の横山和夫は自慢のパープルリーゼントに櫛をあてながらこう切り出した。

    「これは昨日の夜、私が自分の合成写真で作ってみた試作品なんですが。。」



    つづく







    ■ シブがき隊外伝その19(ジューク) 
                        (2003年1月 9日(木)19時49分26秒)




    ♪ せみしぐれ ばばあ

      ドンストップ・フォーリンラアー 

      

    嬉しい事やいじらしい事があるとジョンはきまって意味不明の鼻歌を

    歌う。 必ず「オリビアを聴きながら」のメロディに乗せて。

    「14回目のキスでモッくんは芸能界に残る事を決心してくれた。

    あの時わざと舌を入れなかったのが逆に良かったのだと信じたい。」

    ♪ 聞こえるぜ オマエのコンツェルト

      月並みな 言葉だけど 新郎は学業優秀だと

    無意味に脚韻を踏むのがジョンのこだわりだ。

    ♪ 無理に切った受話器を 胸に当て

      横須賀ビーチで見かける らくだだぜ

      なみだのバケーション かさぶたはがし

      ラーメンの上にゃ ナルトがあるし

    そろそろ想像上のマイクスタンドをぶんぶん振り回し始める頃だ。

    ♪ モッくん モッくん 男前

      ヤッくん ヤッくん 悪い奴

    だんだんメロディが「嵐の金曜日」に似て来たのは何故だろう。

      フックん フッくん 耳触り〜 ア 耳触り〜 とくらァ!



    その時だった、やけ酒を飲んで前後不覚なまでに酔っ払ったフッくんが

    急にドアを開けてなだれ込んで来た。

    「ジョンさん、話がありますよゥ!」

    続く






    ■ シブがき隊外伝 その あいにきてあい20

                        (2004年1月 8日(木)14時25分12秒)



    干勢いに翳りの見られたシングル「JK イン・マイ・アスホール」

    (映画「馬鹿野郎BC(BCはバカの略)」テーマ曲)を出した後シブがき隊の3人は

    ちょっとした停滞期を迎える続けて出したシングル「月亭花鳥(ムーン・ビーナス)!」はセミトロピカルな

    リズムにおっちょこちょいな歌詞を載せた、なかなかやらしてくれない女に対しとっととやらせてくれと訴えかける

    切ないラヴソングだったが、シブがきにしてはお洒落すぎるとも言えるなサウンドが災いしたか、

    下校中の男子中学生がみんなで大合唱する光景が日本中で毎日見られる程の大ヒットには至らず

    (但し今聴くとイントロはかなりカッコいい←これホント)。 



    普通ならここで危機感を感じ、再び大ヒットで返り咲くべく発奮するのが常であるが、

    ジョンの考えは違った。

    「よし、売れなかったついでに「月亭花鳥」からのシングル3枚はシブがきの「落ち目三部作」って事で行きましょう。

    そん次に何かすっとんきょうな曲でも出して復活すりゃあいいや。その間ゆっくり休んで、

    僕と触れ合う時間も長く持てるって寸法だ、うきききき。」

    ジョンはまゆ毛が上がったり下がったりしながらニタニタと笑った。

    世に言う「YMF落ち目三部作」の二曲目は、それまでタブーとされていた、シブがきには決して似合わない、

    いわゆる「都会の夜をセンチメンタルに彩る切なくてアーバンなラヴバラード(略してT.Y.S.I.S.U.L.B. チシスルビー)」だった。 

    デイヴィッド・カッパーフィールドの吹くラグジュアリーなサックスから始まるこの曲「KILL」は、切ないバラードで

    ありながら、タイトルのKILLに引っ掛けてメンバー3人がKISSのメイクで歌うというとんでもない代物で、

    ヤッくんがジーン・シモンズ、モッくんがポール・スタンレー、そしてフッくんがデーモン小暮を担当した。

    もちろんヤッくんは間奏のサックスに合わせて口から火を吹いた。 

    「なぎなたが ウェ〜ディングベ〜ル くたばっちまえ ア〜〜〜〜はってっし〜ない〜〜〜〜 やめてくれ ロックンロー」 

    しかし、思いっきり男前に撮ったレコジャケ(両面)にも関わらず、ジョンの狙い通りおもいっきり不発(はずし)。

    その後、「KILL」なんぞというオツにすました題名ではYMFらしくないとの識者の声を反映し、

    「ぶっ殺す」に改題されたのは有名(これは嘘です念のため)。

    しかし、当時(軽率3年)演歌が主流だった「カラオケ」に徐々にヤングサウンズの歌が取り込まれつつあった頃、

    しばらくカラオケ本の「シブがき隊」の所にはこの「KILL」一曲しかない期間がしばらく続いたのはなんとも皮肉であった

    (注:これはほんとの話。ちなみに曲名もこの曲だけは本当です)。

    さて、落ち目三部作のトリを飾ったのが問題の(奇しくも阪神タイガースが4世紀ぶりに日本一を決めた余韻がまだ充分残る中にリリース)

    「トラ!トラ!トラ! 〜 汚いヂャップをぶちのめせ」だった。歳の割に(当時まだ19歳)妙に

    ドロドロした不倫三角関係に旧日本軍の真珠湾奇襲そして南京大虐殺に応仁の乱まで盛り込んだこの歌は

    桶川と川崎に原爆が投下される衝撃的なジャケット写真もさることながら「俺たちヤンキー いらいらさせる 黄色い猿ども 鬼畜米英」

    という出だしの歌詞が随分と問題視され、当時の国会でもいわゆる「しぶがきトリオ問題」として連日議論が白熱した。

    またB面のパティ・スミス「ロックンロール・ニガー」のカヴァ「ロックンロール・北朝鮮」では歌詞の中で北朝鮮系の

    隠れ在日芸能人(白戸アキラ等)の名前を連呼するという暴挙で問題となり、セカンドプレスからのB面曲は何故か

    幻のデビュー曲「山谷のホー・チ・ミン」に差し替えられたがこちらもやはり歌詞が危ないという理由で

    サードプレスから削除、もう新曲を作ってる時間も無く、仕方なく童謡「ぞうさん」をフッくんとヤッくんの二人だけで

    アカペラで歌って収録した(その時モッくんはたまたまジョンの寝室にいたため間に合わなかった)。

     A面の方もジョンの「今朝おちんちんが左に曲がってたから」という風水上の理由で

    「トロッ!トロッ!トロッ!」と改題しトロット調の愉快な曲に仕立て直され、再リリースされた。 

    しかしやはり、ジョンの目論見通り売上はしけっていた。 



    「うん、これでいい。」



    阪神タイガース優勝で沸き立つストーブリーグ、シブがき隊二度目の夏が目の前に待っている事を、

    ジョンは知っていた。


    (つづく)







    ■ シブがき隊外伝 その21 century(川崎麻世) 

                        (2004年1月 9日(金)17時51分47秒 )




    ジョンの目論見で故意に演出された「落ち目3部作」(人によっては「JK〜」も含めて

    4部作、また「月亭」は落ち目には入らないとする説もある)の長いトンネルの間、ジョンは

    原稿用紙に向かい、ある文章をしたためていた。
     
    ジョンズ事務所に賭けた己の半生を綴った自伝的大河小説、題して

    「君の初めての男 させてくれ」

    だった。 



    物語は、ジョンの名前をもじった「ジャニー」という男が主人公だ。 

    クリスマスの日、イスラエルのベツレヘムに生まれたジャニーは幼い頃から

    どこへ行くにも旧約聖書を持ち歩き、相対性理論や金融デリバティヴの将来について

    大人達相手に講釈を打っていたと言う。 

    またジャニーは音楽的才能も幼い頃から遺憾無く発揮し、特に2歳の夏、家族で

    アメリカ南部へ旅行に行った際ミシシッピの小さな田舎の十字路で悪魔に魂を売って

    完璧なテレミンの演奏技術を手に入れてからと言うものは、たった一人で

    まるで三人のテレミン奏者が合奏しているかの様に聞こえるという凄い演奏と、

    またテレミンに合わせての悪魔のうめき声を思わせる彼独特の唱法とで人々をすっかり魅了してしまい

    週末はジュークジョイントのスターだったが、彼の噂を聞きつけたレコード会社「よもぎレコード」悪徳A&Rマンの

    手にかかり、ひどい目に遭う。

    この経験を活かし、自らも芸能界で悪どく生き抜いて行こうと決心したジャニーはその後、

    当時海賊だった父の転勤に伴い日本の東京に引っ越す。

    高校一年の夏、近所に住む綺麗な中学生の男の子4人を集めて作り上げた4人組コーラスグループ「エド・サリバンズ」は

    瞬く間に町中の話題をかっさらった。

    ジョン、ポール、ジョージ、スミスの4人は行く先々で女のコ達の黄色い声援に包まれ、やがてその人気は

    地元京急蒲田から大田区全体へそしてやがて東京全体(大島を含む)へと広まって行った。これに

    目を付けた当時の日本放送協会は折からの街頭テレビブームに乗り彼ら4人をホストに迎えた

    洒落たトーク&音楽番組「エド・サリバン・ショー」を放送開始。「力道山」や「君の名」はと並ぶ人気番組となり、

    「サリバンズがテレビに出ている間は女湯から客が消える」と言われたものである。 話は前後するが

    サリバンズはドーナツ盤「君も好き」でデビュー。その後も「僕らの未来」「愛してくれて」「パンパンで行こう」

    「吉田茂音頭」「とんかつ先生」「水爆音頭」「ロール・オーバー・ベートーベン(ベートーベンをかき回せ)」

    「男どうし」「はしかのようなもの」などを立て続けにヒットさせた(「吉田茂音頭」は麻丘めぐみのカバーでも有名)。

    巷にはイカすエドサリバンルックで闊歩する若者が満ち溢れた。鳥打帽に黄色いスパッツ、上半身裸で

    股間に蝶ネクタイを締めた「エド族」は「もはや戦後ではない」と言われ希望溢れる日本の象徴だった。

    ところがそんな順風満帆なエド・サリバンズとジャニーに異変が訪れる。

    それは、当時イギリスで大人気だった暴走族バンド、ザ・ビートルズをエド・サリバン・ショーに

    ゲスト出演させた時の事である。



    (つづく)







    ■ シブがき隊外伝 その22(なんかいい駄洒落ない?)  

                        (2004年1月 9日(金)19時29分31秒)





    その夜は歴史を創った。



    何しろザ・ビートルズが画面に映ると、ヤング族はおろか大人達まで日本中の誰もが、

    英国の噂の不良どもを一目見てみようと街頭テレビの前に殺到した。

    その凄まじさと言ったら、何しろビートルズがテレビに出ている間、夜中にも関わらず東京では

    一件の銭湯のぞき見事件も発生しなかったというのであるから驚きである。



    ここでビートルズを知らない世代のために、簡単に彼らの紹介をしておこう。

    ビートルズは、英国はリバプール市出身の暴走族バンドで、メンバーは ジョン・レノン(ギター)、

    ジョージ・ハリスン(ギター)、ポール・マッカートニー(ベース)、スチュアート・サトクリフ(ベース)、

    ピート・ベスト(ドラム)、リンゴ・スター(ドラム)、リチャード・スターキー(ドラム)、

    オノ・ヨーコ(雰囲気づくり)、ジョージ・マーティン(ラップ)の9人組。メンバー構成を見ておわかりの様に

    ツインベースにトリプルドラムというJBもびっくりの贅沢なバンドで、

    うねる様に濃厚なファンキーグルーヴが身上だった。



    今ではビートルズと言えば音楽の教科書にも載るくらいだし、優等生バンドと言ったイメージしか無いかも知れない。

     だがデビュー当時の彼らは確かに、手のつけられない不良だった。。 歌の方も後に出した「イエスタデイ」や

    「ミッシェル」などの綺麗なものではなく、デビュー曲「恐喝(かつあげ)ロック」がいきなり全英チャート16位まで

    上がるスマッシュヒットを記録したと思うと続けざまに「輪姦(まわし)三昧」「手錠(ワッパ)など屁でもねえ」

    「胴元を殺(や)っちまえ」「むかつく黒んぼ」と全英第一位の大ヒットを飛ばしまくり、

    続くシングル「抱きしめたい」ではとうとう念願の全米上陸を果たした。

    と書くと今のいい子ちゃんイメージのビートルズしか知らない若者には結構ショックかも知れないが、

    なあに、大体「ビートルズ」という名前からして英語で

    「BIITORUZ = スラム街でひったくりや強盗をして生活する酒飲みのごろつき」という意味のスラングである。



    さて、そんな暴走族グループ、ザ・ビートルズが初めて「エド・サリバン・ショー」のステージに立った時、

    リーダーのジョージ・ハリスンは緊張のあまりちんちんが左右に小刻みに揺れていたと言うが、それでも

    彼がギターに叩きつけるイカしたイントロのリフで一曲目が始まった。

    曲はファーストアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」の中から隠れた名曲「爆走天国」。 歌うのはジョンだ。



      あの娘を乗せて 爆走天国 Saturday Night (コーラス:Saturday Night)

      キングスロードは 俺たちのもの Feel So Fine (コーラス:Feel So Fine)

    (訳詞:戸田奈津子)



    黄色い歓声の中、一曲目を歌い終わり照れた様に客席に向かい舌を出しておどけて見せるジョン。

    ピートがスティックを空中に投げると二曲目、今度はヒットシングル「むかつく黒んぼ」が始まった(訳詞掲載不可)。

    一向に衰えない熱狂の中「輪姦(まわし)三昧」「恐喝(かつあげ)ロック」「いいから酒だ」

    「P.S. アイ・ラヴ・ユー」とノリいいロックン・ロールの曲が続き、最後は

    アイズレー・ブラザーズのカバー「不良(ワル)の掟」で締める。メンバー9人全員で積み上げるぶ厚いコーラスを

    ジョンのシャウトがスリリングに突き破る、大人にはわからないヤングだけのシビレる曲だ。

    そしてわずか15分間のステージが終わり、いつまでも鳴り響く歓声がやがてゆっくりと静まった後、

    何かが変わっていた。



    ビートルズがエド・サリバンズに勝ったのである。



    (つづく)







    ■ シブがき隊外伝 その23よってらっしゃい   

                        (2004年1月16日(金)18時08分35秒)



    話は前後するが(してないかも?)、いわゆる「落ち目3部作」の嵐を乗り切った後、

    YMFに岸田今日子、いや起死回生のデカいヤマ(と書いて「チャンス!」)がやって来る。

    それは、ちょっと前に人形劇「俺たちの欲望」主題歌「鼠どもに唾を吐け」を歌ってやったおかげで

    癒着に成功したNHK(日本ホーモー協会)の最高人気番組「俺たちの唄」で事もあろうにYMFの唄を

    連日連夜流してもらえる、というデカいヤマ(と書いて「チャンス!」)だった。



    「俺たちの唄」は5分間と短い番組だが毎日2時間に一回の割合で挿入されるから露出効果は高い。

    主に子供向けの短くて親しみ易い唄を2曲、それぞれの唄用に付けた美しい映像と共に流す。

    この番組から有名になった唄は結構多い。 知らぬものとてない大ヒット、

    斉藤こずえみどりの歌った「山口さんちの勤め人」を筆頭に、永遠のヤング田中星爺が歌った「北風小僧の

    キックザカンクルー」、変わった所では不気味マイナータレント時代のタモソ(2ちゃん風)「ミスター新鮮ザーサイ」、

    渋いところではクリスタル小椋佳を世に知らしめた「あらま青春」、ナックの「マイシャローナ」、

    バリー・ホワイトの「太っちょジゴロ」などマイコーもとい枚挙に暇(いとま)が無い(実際のマイコー富岡は結構暇かも知れない)程である。



    NHKが持って来た企画は「スシ喰うな!」というタイトルで、シブがき隊と町田町蔵が夢のデュエットをする

    というものだった。当時「ぞうぞう」のニックネームで幅広く親しまれていた町田町蔵はNHKが毎年行なう

    タレント好感度調査でも常ににしきのあきらや日吉ミミとトップを争うナイスガイで、白い歯にテニスルックが

    トレードマーク。しばらく低迷していたYMF人気をカバーする意味でも彼は絶好の人選だった。 



    「あドモ、はじぇあして、町田ス。」

    ぞうぞうはシルクハットを空にポオーンと放り投げるとぎこちなく挨拶した。



    「どうも薬丸です。不良やってました。」

    「三波晴夫でございます。」

    「おいモッくんそれは最後の人がやるボケだミャー。」



    お互いの背中をタオルでこすりながら(三角形の形になって)3人も挨拶を返す。言い忘れたが銭湯の中だった。



    「あ、せっけんのしゃぼんだまだ。」



    ジョンもはしゃいでいる。




    (つづく)






    ■ シブがき隊外伝 その24はじめ  

                        (2004年1月16日(金)19時02分45秒)



    ではここで、「スシ喰うな!」の爽やかな歌詞を紹介しておこうね。




    スシ喰うな!

    代表作詞:谷村新司 作曲:弾厚作 編曲:白戸アキラ

    唄と演奏:シブがき隊




    (モッくんささやき:ジョンさん。。)


    ミミズ なめくじ 猫の舌  (Hey! RA$H-EYヨ!)

    虱(シラミ)  蝙蝠(コウモリ) スズメバチ  (Hey! RA$H-EYヨ!)

    トカゲ イモリに ウォンバット  (Hey! RA$H-EYヨ!)

    中尾彬で 女体盛り


    ここの寿司屋は喰えねえよ


    スシ喰うな

    スシ喰うな

    (スシ喰うな ..)


    アガリ アガリ ..


    奇形ヒトデは 手が10本 (Hey! Oma-chi!)

    象のきんたま 踊り喰い (Hey! Oma-chi!)

    捕鯨反対 イルカ汁  (Hey! Oma-chi!)

    徳大寺有恒で わかめ酒


    ここの寿司屋は喰えません


    スシ喰うな

    スシ喰うな

    (スシ喰うな ..)


    (日吉ミミ:しばらくヒムロック風即興デタラメ英語のラップ)



    俺の彼女は イカゲソそっくり

    やるせないじゃない タコ焼きでんがな

    徳光みたいに 巨人ファン

    どうぞ泣かないで 舘ひろしです


    (ヤッくんセリフ:さよならなんて 言えないよ お馬鹿さ〜〜〜〜ん!)



    イクラ派兵は 行きたくね  (Hey! Bep-pin !)

    中トロ 大トロ 小泉コートロー  (Hey! Zok-kon!)

    ブッシュ親子と 親子丼  (Hey! ∞!)

    フセインが隠してた 大量破壊わさび


    ここの寿司屋は靴屋だよ


    スシ喰うな

    スシ喰うな

    (スシ喰うな .)


    金正日のお腹から 吸い取った脂肪 (激レア!)

    事故現場で拾って来た ヒトの脳  (ィイ〜〜〜っネッ!)

    堕ろしたばかりの フレッシュ胎児  (俺のじゃない!)

    ブリトニーの処女膜の お吸い物 (何年前よ!)


    ここの寿司屋はせつないね


    スシ喰うな

    スシ喰うな

    (抱きしめて ..)


    おあいそ おあいそ ・・ 

    (フッくんつぶやき:それは金払うって意味だね?)







    ■ シブがき隊外伝 その25さん(にごうさん)  

                        (2004年1月23日(金)19時09分2秒)




    癌と借金地獄のはさみ打ちから見事に生還した吉井怜幾三の「ぼく東京に行くよ」と言えば

    日本歌謡界初のラップ大ヒット曲として有名だね。 

    日本中にBボーイBガール旋風を巻き起こしたこの曲のおかげで

    全国至る所で若者達の挨拶が「ヘイウォッスゥオッピョウメーン」一色に染まり、

    英語の教科書でもそれまではジャックとベティが「これはペンですか、それとも象ですか?」

    「はい、私は元気です」などと耳の遠いボケ老人どうしの縁側話みたいな会話が手榴弾、

    もとい主流だったが「幾三後」の教科書は違った。ジャックの代わりにマックダディJという名の

    上半身裸の黒人男、ベティの後釜にはスティッキーO(オー)という名の、紫色の髪で

    売春婦風のなりをした淫らな黒人女性に取って代わった。 時代の流れだから仕方なかった。

     教科書の中で交わされる会話も随分変わったよね。例えば教科書大手「三菱グローバル教科書」発行の

    中学1年向け「英語I」のレッスン1はマックダディJがブロンクスの街角で

    コーク売人のキラーデビルとすれ違う場面から始まる。



    "Hey yo muthafukka don't ya muthafukkin' look at me y'know what I fukkin' mean ?"

    (おい、そこのへっぽこ野郎、俺をへっぽこ見てるんじゃねえ、へっぽこわかったか?)



    "Aw what a bitch ! Yo  my fukkin' old man, fukkin' Mr.Joe Smith, inn't it ??"

    (おおなんてこったい! お前はなんとへっぽこ、へっぽこジョー・スミスさんじゃありませんか)



    "Yes I am. Is that a building ?"

    (はいそうです。 あれは建物ですか?)



    "No it isn't. By the way,  Mary likes to dance in yellow fukkin' icecream, doesn't she ?"

    (いいちがいます。 ところでメアリーは黄色いヘっぽこアイスクリームの中で踊るのが好きですよね。) 
      


    "fukkin'"(正しくは 'fucking')、"muthafukkin'"(正しくは 'motherfucking')をいちいち

    「へっぽこ」と訳すの何とももどかしげだが、当時の文部省改め勉強スポーツ省が、

    "school"や"teacher"や"sexy"と並んで中一基本英単語の一つである"fukkin'"と"muthafukkin'"は

    どちらも「へっぽこ」と訳すのが正しい、という正式見解を近代知晴彦先生の助言を得て

    発表してからと言うもの、アメリカ映画、特にハリウッドアクション映画の字幕の字幕には

    「へっぽこ」の文字がところせましと踊る様になった。 おかげで戸田奈津子先生はすっかり

    へっぽこノイローゼになり寝込んでしまうありさま。 この奈津子先生受難の一部始終を

    いかしたサマーロックに乗せて歌ったのがツイストの「燃えろ ... E女 !」(ちょっとYMF風にアレンジ)

    である事は皆さん先刻承知の助でR。







    ■ シブがき隊外伝 その26入ったか? はみちんみがいたか? また来週!   

                        (2004年1月23日(金)20時39分46秒)




    さて、そんなこんなで日本国中二億四千万の瞳を夢中にさせた空前のBボーイブームだが、

    吉井怜幾三がその後Bボーイ気取りのラッパーをやめて唐突に演歌歌手へと転向したため、

    「ポスト幾三」の座を巡って日本中のアウトロー気取りどもが一斉に熱い戦いを

    繰り広げ始めた。当時日本の代表的なラッパーといえば、ラップグループ「山本太郎」の

    メロリンQや、いとうせいこう&インペリアルABブラザーズのイリシットくどい、

    イーストエンドプラス近田春夫(そりゃむさ苦しい)のECD(そりゃ更にむさ苦しい)などが

    いたわけだが、中でもNHK「連想ゲーム」のテーマ曲という、誰もが親しんでいる曲を

    フレーズサンプリングして使うという正にしゃかりきコロンブスの卵焼きなワザを使って

    登場し世間をうならせたのが、かのジョニー, ルイス&チャー改めスチャダラパーだった。 

    3人のメンバー、アグネスチャン、ダラスオースティン、林家パー子の名前からその名を取った

    スチャダラパー(通称ショーケン)は日本歌謡史上初のラップアイドルとして大人気を博し、

    初の全国ライヴツアー「ビートルズは60年代のスチャダラパーだったツアー」、

    「電気グルーヴには負けないぞツアー」、「フェアチャイルドドのYOUちゃんは何歳だツアー」など

    愉快な名前を付けたコンサートツアーも軒並み大盛況。 カラスの鳴かない日があっても

    スチャダラパーのライヴで女子高生が失神しない日は無い、と言われるほどの有様だったそうな。  

    こんな状況をあの男が指をくわえてただ見ているわけが無いではないか。 そう、ジョンである。




    ある日の午後、ジョンは町田町蔵の所属事務所「パンク事務所」に電話を掛ける。

    「もしもしわたくし超大手芸能事務所ジョンズ事務所のジョンと申しますが。」

    パンク事務所のキム社長に苗字を名乗り忘れるジョンだったが、その後二人共通の趣味だった

    プロレスや竹ひご細工、さらには沖田総司やオスカルの話で大いに盛り上がってしまい、

    町田町蔵をYMFと共演させる約束を取り付ける事に見事成功。

    「よし、いいでしょう。」  

    その後は既に書いた通り。




    さてシブがき隊にとって第二の誕生の年とも言える 1986(軽率5)年、

    ちょうど人気作家村上康夫(すんごい地味な名前)の「なんとなく透明に近いクリスタル」や

    西村京太郎のトラベルミステリー「京急蒲田口論の末サラリーマン刺殺」が売れに

    売れている頃だったが、今の二つのボケとは何の関連性もなく、、「俺たちの唄」に

    「スシ喰うな!」が流れ始めた ..




    (つづくとも)







    ■ シブがき隊外伝 その27木一夫    

                        (2004年1月27日(火)12時28分8秒)




    「スシ喰うな!」はその愉快な歌詞とボムスクワッド顔負けのヘヴィでハードなトラックとで

    瞬く間にお茶の間の人気を独占した(ボムスクワッドとは小学館のアイドル雑誌ボム!の編集部で結成された

    トラックメーキングチーム。パブリックエネミーとのちんちんかもかもな関係は有名)。

    特に小学生男子の間での人気は絶大で、その真似され具合たるや、往年の加トちゃん「ちょっとだけよ」や

    間寛平の「アメマ〜」、村上ショージ(虎舞竜)「お父ちゃんやめてあげて」にも匹敵せんとするばかりであった。



    また同時に「スシ喰うな!」はそのアンチ寿司とも言うべき歌詞によって、寿司屋のライヴァルにあたる人たち、

    たとえば宅配ピザのピザ服部や牛丼のミッキー吉野屋などから大いに歓迎された。中でもソ連資本の大手ピロシキチェーン

    「マクドブイリ」(通称マクド)店内ではこの曲が一日中掛っていたものさと、ファーストフード研究家の恵俊章

    (後のホンジャマカ)はホッドドッグプレス誌上で語っている。



    しかしこんな状況を黙って見ている寿司業界ではない。

    中でも回転寿司チェーン最大手の174Z(いなせ寿司)が銭湯に勃って、いや先頭に立って

    「スシ喰うな!」の勢いをストップすべくアンチソングを作って発表した。その名もずばり「スシ食いねェ!」である。

    左翼思想が濃過ぎてわけがわからない「喰うな!」に較べると「食いねェ!」の歌詞はシンプルだった。



    〜 タコは ネギトロ シャチ イクラ ヘイポーラ!  (ちょっと違ったかな)



    2番煎じである「スシ食いねェ!」の売れ行きが意外に好調である事に危惧したジョンは、話題づくりのため

    「スシ喰うな!」の外国語バージョンを制作するアイデアを、ウンコしてる時に思いつく。


    打ち込みとサンプリングを多用したオリジナル版とは打って変わって、町田町蔵のバンドである"INU"を迎えての

    生演奏による「スシ喰うな!」の韓国語バージョン、「犬喰うな!」の誕生である。



    (つづく)






    ■ シブがき隊外伝 その2828(にやにや)させて 本田泰章     

                        (2004年1月27日(火)17時44分9秒)



    ところがこの「犬喰うな!」が韓国の反日感情に火を付ける。



    へたくそコーラスグループを使って他国の食習慣に干渉するとは何事だ、と。 

    日本でもカレーライスに生卵を入れたりトイレットペーパーをマヨネーズしゃぶしゃぶで食ったりするじゃないか、と。


    又、偶然にもちょうど時を同じくして韓国のシブがき隊。じゃなかった少年隊と呼ばれた「消防車(ソバンチャ)」が

    「犬食いネェ!」という新曲をヒットさせていた事もあり(そんな歌絶対出してないと思うけど)犬一匹を巡って

    「食え!」「食うな!」と日韓正面衝突の様相を見せた。正に綱吉以来の犬騒動である。

    当時の犬を巡って板ばさみの模様を歌ったのがかのSUPER BAD「サンドイッチマン」である。



    さらに又、折りしも小純泉一郎(こすみ・せんいちろう)首相の

    「「釜山港へ帰れ」はX JAPAN「Rusty Nail」のパクリだ」発言によって一近年に無く

    アンチ日本ムードの高まっていた韓国ではネット上でも人気反日サイト「ウンコジャパン」や

    「ヒロシマアゲイン」そして「レッツレイプオールザヤマンバギャルイントーキョー」などを中心に

    日本への反感が強力にアジテートされ、しまいには「もはや竹島ではない」のスローガンのもと

    日本の九州全体が本来韓国の領土であるとの主張がまかり通る様になり、政府もこの草の根圧力に屈し、

    日本政府からの働きかけにもかかわらずとうとう九州(韓国名では「ごわす島」)を韓国の領土に見立てた郵便切手を

    発行するに至った。



    これに真っ向から反発したのが佐賀県出身のお笑いタレント、「はなを」である。

    自らを西郷どんの生まれ変わりと称しベッカムヘアでキメた彼はこの暴挙に対し

    「朝鮮県」というビートパンク風の曲をリリース。たちまち大ヒットとなる。 

    歌詞の内容はここでは書くのがはばかられるほど過激というか際どいもの(インリンみたいなもん)だが、

    軽快なサビの「V・A・C・A TION(ヴィーエースィーエー テョン) ← 「テョン」はいわゆる「チョン」の婉曲語。

    「ティンティン」や「テャニーズ事務所」(そんな言い方するかな)みたいなものさ)が歌いやすかった。 

    (ところでこの「朝鮮県」、年末の紅白ウタでは我等がYMFの「スシ」やジョニー、ルイス&テツ&トモの

    「恋におちて。。なんでだろう」と並び3大爆笑ソングとして親しまれたとさ。)



    さて、話は少し戻るがこの犬騒動の渦中にちんちんが洗われた、もとい颯爽と現れたのが

    環境庁改めさわやかエコロジー省大臣の癌直人(がん・なおと)だった。

    若き癌は犬を食え食うなの騒動に決着を付けようとTVカメラの前で犬喰いパフォーマンスを決行。

    これを機に日本中に「犬は食っても大丈夫なんだ」との認識が浸透。「夫婦喧嘩は犬も食わぬが、犬をも喰らう癌直人」

    という粋な都都逸も市丸姉さんにより唄われ、ちょっとした都都逸ブームにまでなり「サラダ記念日」などの

    ベストセラーも生まれた事はご承知の通り。



    のんびりした時代だった。



    (つづく)






    ■ シブがき隊外伝 その2ッ9ん  
                        (2004年1月28日(水)15時33分22秒 )



    「スシ喰うな!」(業界的に言うとスーシークーナー)の大ヒットのおかげで

    息を吹き返したYMFは再びマスコミの脚光を浴びる事になる。「裕也家ニャンニャン」や

    「小川宏ショー」の司会を務め、アカデミー賞のプレゼンターまでやってのけたYMFは

    とうとう日本人としては初めてTIME誌の表紙を飾るに至った。その時の表紙に

    踊ったキャッチがかの有名な"TEEN ZIGOLO FROM EAST" である。

    ところでこのTIME表紙はちょっといわく付きだ。

    実はデザイン会社の手違いで、フッくんとモッくんは問題無かったが

    ヤッくんだけ加藤茶の写真が印刷所に送られてしまった。

    気付いたときは既に差し替える時間も無く、

    印刷所長カーティス・メイフィールド氏のとっさの機転で

    加藤茶の顔の上からヤッくんに似せて鉛筆で描いて直す事にした。

    これが大成功で誰が見ても普通のヤッくん顔写真にしか見えず、バレなかったと言う。



    そんなわけでふたたび波に乗り始めたYMFは調子に乗って「スシ」に続くシングルを投入。

     評判の悪かった「KILL」の様なお洒落路線は田中康夫達にまかせる事にして、

    YMFはやっぱ昔の様にガチャガチャとうるさくてエキサイティングなバカエッチ路線に

    戻ろうぜという事でジョンズ事務所、CBSソニー双方の見解が一致(CBSは「かぼす」の略)。

     「天才こずえみどりの元気が出るテレビ」のコーナーで一気に火が付き

    世の雑誌やTVでも頻繁に特集を組まれる程になっていた折からの「お嬢様ブーム」にあやかって

    シングル「飛んで火に入る夏のサマー・トロピカルフィーリング

    常夏ラヴアフェアーinニューカレドニアダイビング免許も取りたいし

    田中角栄の娘それは避暑地の恋でした(胸騒ぎのテーマ)」をリリース。 

    おそろしく長いタイトルのこの曲は、後年タイトルの長さでは

    羽賀健二のちんちんといい勝負だったビーイング所属のT-BOLANが出したシングル

    「瞳で傷つけ合う愛が泣き出すほどもどかしいのならいっそ俺の切なさの全てを

    疲れ果てた強がりの翼に乗せて地平線の向こうまで翔(と)ばせばいいだなんて

    君のためにわがままな俺の迷いを魂で抱きしめてどうしようもないほど

    哀しい嘘つきとだけは呼ばれたくないから 。。夏」に抜かれるまで

    世界で一番長い曲名としてギネスも公認だった。

    ちなみにT-BOLANの曲はインストである。



    「うぅ〜〜ん、やっぱり僕のシブちゃんはこうでないと。おしりの谷間がキュキュ〜んてしちゃう!」

    ナベツネやデュランデュランもそう語ったという。



    「飛んで火に入る〜」はポテンヒットに終わった。



    (つづく)






    ■ シブがき隊外伝 その30(サーティー)、来週のサザエさんは  

                        (2004年1月28日(水)18時57分11秒 )



    結局、「スシ」で生まれ変わったかと思われた新生シブがき隊は一発屋で終わってしまった。

     おかげで事務所内でも「テツ&トモ」と呼ばれる有様。

     「猿岩石だって結構持ったのに」と皮肉られた。 尊敬していた先輩歌手のマッチさんまでが

    「一発野郎」なんてシングルを出してからかうし、ジョンズ事務所の総務課では

    「一発屋歌手」のお題で山手線ゲームをやるのが流行った。



      「小坂明子」  「UN'z」  「女子十二楽坊」  「ナショナル・パスタイム」 

     「きんちゃんとぎんちゃん」  「ケーシー高峰とサンシャインバンド」  「ハナレグミ」

      「aco」  「アダムス」  「イーター」  「ォマリー」  「白戸アキラとハンサムレボリューション」

      「ヒステリックブルー」  「ブ〜〜〜〜〜〜、ヒスブルは二曲目の「なぜ」も大ヒットしましたぁ〜〜」 

     「センチメンタルバス」  「うん、センチバは確かに一発屋だったね、曲名忘れたけど。

    センチって略すとセンチメンタルシティロマンスの意味になるから、おじさん達に怒られないように気を付けて!」



    ところどころ誤解や予想や豆知識も織り交ぜながら、、 切り札の「ナック」や「アラジン」を出さずに

    どこまで引っ張れるかがポイントだ。 

    (注:一発屋の象徴の様なナックだが実際は「マイシャローナ」「グッドガールズドント」「ベイビートークスダーティー」と

    続けざまに3曲の大ヒット曲を出している。)



    「あ〜あ。 スシで一発飛ばせばしばらく安泰だと思ったのになあ、、 

    奢るHey! Bep-Pinは久しからず、またたのしからずやとはこの事だな。

    仕方ないスシでも食おう。」

    過去にこだわらないジョンの頭の中は既に、次にデビューさせる大型ユニット、少年隊の事でいっぱいだった。  



    少年隊は、年齢こそシブがきトリオと同じだが音盤デビューはずっと後。 

    何かとすっとこどっこいホンダラダなイメージの漂うシブがきと違い、

    少年隊にはある種軍隊的とも言えるピシッと統制の取れた雰囲気がある。 

    ダンス一つ取っても、開脚前転さえままならぬシブがきに対し

    「後ろ3回半ひねりバック宙流し目フィニッシュ」さえ楽々と決めてしまう少年隊の面々。 

    歌こそそんなに上手いわけではないが、少なくともフッくんのようなミャーミャー男はいない。

     同じジゴロでも、シブがきがだらしのない失業中で大酒飲みの女ったらしだとすれば、

    少年隊は歌舞伎町の高級ホストクラブに勤めるナンバーワンホスト「頼朝26歳」と言った雰囲気が漂った(実際はもっと若い)。 

     何しろキメ台詞が「ウェイクアップディザィアー!」である。

     「ショックショックショックバージンショック!」とはかなり趣きが違う。

     (おまけに少年隊はシブがきやたのきんと違って決して「少年トリオ」(笑)とは呼ばれない)。

    韓国の男性グループに喩えればgodと神話の対比に似ているかも知れないが、 などと書くときっとgodファンは怒りまくるに違いない。



    そんなわけで、ジョンのハートが少しずつ少年隊(YMF風に略すと NHK)に傾いて行く寂しさを噛み締めながら、

    なんとなく心のどこかで第二の人生を模索し始めるシブがきの3人だった。 

    (でもまだハタチなんだよなこの頃)



    向かい風に耐えるシブがきの3人だったが、追い打ちを掛ける様に更に大きな問題が生じた。

    筆者が、「飛んで火」の次のシングルがなんだったかさっぱり思い出せないのである。



    (つづく)






    ■ シブがき隊外伝 その31ちゃんケイちゃん
        
                        (2004年2月 1日(日)20時21分45秒)





    「スシ」を前後に上がったり下がったり忙しかったYMFの3人。

    そんな彼等もやっと二十歳を迎えたになった軽率5年春、

    彼等も遂にシブがき隊とは別の隊に入隊する事となる。それはもちろん日本国軍。

     前年意外とすんなり国会を通過した「兵役とそれに関して知っている2、3の事柄法(兵役法)」に基づいて

    兵隊さんに取られたのだった。 旧自衛隊のなり手(志願兵)があまりに激減した為の

    苦肉の策だったが、徴兵復活の事のついでに自衛隊の名前を日本国軍にとうとう改称してしまったのは

    さすがに勇み足と映り、世界各国から「自衛隊っていう微妙な名前が日本ぽくて良かったのに(オランダ)」

    「結局軍隊だって事はみんな分かってんだからさあ、折角だからもうちょっとじらして欲しかったなあ、

    あのインリンだってまだ脱いでないんだぜ(ブラジル)」「自衛隊の方がじぇーったい良かった(韓国)」など

    さんざんに叩かれたが、中でも米国からの非難はワシントンだけに轟々だったと言う。

     時のキッシンジャー大統領は語った。 「マイケルはやってないと言い張るしかないんだ。

    日本だって軍隊じゃないと言い張るべきだった。」



    改称問題のごたごたで徴兵復活そのものの方はうまい事うやむやゴリ押しになってしまう形となったが、

    これはもちろん偶然ではなくバックには大手広告代理店の吉田広告社が絡んでいたらしい。

     さて徴兵の対象となったのは20歳から35歳までの五体満足な男子で、

    任期は陸海空軍共に2年。 韓国が男子皆兵である事に倣い、人口が韓国の約3倍の日本では

    上記該当者全体の中から3分の1が選抜されたが、どうも男好きのするタイプが優先されたとの

    まことしやかな噂が流れ、そのせいか自ら志願する感心な若者が急増。 

    また、五体満足とは言っても乙武くんの様に極端に五体不満足な者の場合は

    かえってパラリンピックが大きな感動を呼ぶのに似て国民全体の志気を高揚させるに役立つという事で

    志願すれば優先的に採用された。ところがこの方針で空軍に採用された全盲の戦闘機パイロットが

    味方の基地に突撃し自らを含む17人もの死者を出すという事件が発生、大きな社会問題となる。



    (つづく)





    ■ シブがき隊外伝 その32スカート(ツイギー) 
                                    
     (2004年2月 1日(日)21時01分2秒 )




    さて、YMFの3人がわざわざ優先的に徴兵されたのには理由がある。



    当時の日本では、偶然同じ軽率4(1985)年に起った阪神タイガース日本一と同じくらい久しぶりの

    徴兵復活という事で、中国をはじめとする外からのプレッシャーもさる事ながら国内での

    とまどいがやはり強くあった。 まして時は丁度、イラクや北朝鮮への出動という

    極めて危険な任務を日本軍が負わざるを得ない、そんなタイミングだったのである。

     そこで政府は、軍隊に入る事はとてつもなくナウい事なんだぞという事を

    若者に浸透させる為の広告塔が必要と判断。これは統一教会の桜田淳子がヒントになったと言う。



    当時の田中マキコ海軍大臣は大胆にもTV中継されている国会の中で言い放った。

    「韓国の例とか見てるとね、やっぱりヤングのカリスマに率先して入隊してもらうのがいいんじゃないすか、

    って事でたのきんトリオが来年4月から、って事で話が付いてるんですよ。」

    シブがき隊をたのきんトリオと間違えてしらっとしているあたりはさすが女傑の面目躍如だが

    (ハマコーの宮澤賢治君発言を彷佛とさせる)、とにかく政府は既にジョンズ事務所との合意を得ていた。




    人の「立ち位置」というものは実に多面的で面白い。



    シブがき隊は「スシ」のおかげで息を吹き返し知名度はバツグンである。

    だから広告塔としての効果は絶大だ。

    しかし、知名度と売上は違う。 いくら知らぬものとてないシブがき隊でも例えば

    「演歌なんて歌えない」というシングルを一体何人の日本人が知っているだろうか(初期シカゴ風)?

    ジョンズ事務所としては、YMFはもうそんな頻繁にTVに出て歌い踊ってくれなくとも良い存在だった。

    そういった事は少年隊がやってくれる。YMFの3人は、兵役に就いたまま

    ときどきコアなファンへの顔つなぎの為にシングルを吹き込んでくれればそれでいい。

    むしろ今のYMFにとってはどうせ大ヒットの望みがない歌番組に精力を注いだり

    この非常時にへらへらとバラエティでお茶を濁し国民の顰蹙を買うよりは、

    ジョンズ事務所そのもののイメージ広告塔になる意味でも軍隊で頑張ってもらった方が

    好都合だった。  



    (つづく)






    ■ シブがき隊外伝 その日吉33 

                     (2004年2月 1日(日)22時17分21秒)




    シブがき隊にはY・M・Fがいる。 



    自衛隊改め日本国軍にも陸・海・空がある。



    ジョンも当初は、軍の勤めを果たしながらレコーディング活動を行うとなると

    3人共陸軍なら陸軍にまとめて入隊した方が便利だと思った。 しかし、

    やはり広告塔として最大限にその効果を発揮するには、せっかく3人揃っているのだから

    陸・海・空と一人ずつ行った方がドラマ性も感じられていいじゃないのか、

    と事務所の屋上で一人ウクレレを鳴らしながら決めた。



    「日本軍も3つの力、シブがきも3つの力だ!

     ただし僕の好みはちょっぴり片寄り系かも。。」(パープル・タウンの節で)



    問題はだれをどの隊に割り当てるかだが、これは吉田広告社の助言もあり

    存外スムーズに決まった。



    ヤッくん・・・元暴走族の経験を活かし、陸軍。

    モッくん・・・ルックスのイメージでやはり空軍。

    フッくん・・・「東京パイレーツ」というソロの歌を歌っていた事もあり、海軍(海賊と海軍は本来犬猿の仲)。

    また実の妹が当時人気の実力派ゴスペルクワイア「おニャン子部落」のメンバーだった事もあり

    「セーラー」を連想させるという事からも海軍。さらにトレ−ドマ−クの「ミャーミャー」した歌声が

    かもめの鳴き声に似ている、という識者の意見も尊重した。



    ジョンは対外的には「いやあもうこれからは少年隊ですよ、僕を喰わせてくれるのは。

    あとは忍者とイーグルスあたりかな」とうそぶいていたものだが、

    人の心というものはそう簡単に変えられるものではない。



    「モッくん、よりによって一番危ない空軍とは。

    いくら空軍顔だからって、もうちょっと考えてやれば良かった。。」



    曇った日曜日の午後、ジョンは石頭慎太郎空軍大臣と将棋盤をはさみながら、

    心でつぶやいた。



    (つづく)






    ■ シブがき隊外伝 その34(サーシー ← シーサーの事)  

                     (2004年2月 1日(日)22時48分4秒)




    ジョンのお気に入りモッくんだけではない、

    YMFの誰か一人でも、もしもの事があったら二度とYMFの3人でステージを踏めなくなる。

    オリジナルメンバーのピッくんを連れて来れば済む問題ではなかった。



    いかにYMFがもう売れ筋でないとは言っても、ジョンは「ある野望」の為、

    どうしてもあと数年はYMFというグループとして存続させておく必要があった。



    そこで出たジョンの結論は、流石に大胆だった。



    「YMF3人のクローンを作っちゃおう!」



    当時、遺伝子工学の急激な発展によりそれまで神の領域と看做(みな)されていた、

    生き物の設計図たるDNA(ダっくん・ノっくん・アっくん)を人力で操作する事が

    可能となっていた。当初は食糧対策として農作物の改良、たとえば地面を境に上には

    トマト下にはじゃがいもが同時に出来る「ポマト」(これは本当)や通常の2倍の太さと

    4倍の長さで黒光りする秋田特産のお米「おとこまえ」(これは嘘)などが

    遺伝子組み換えによる産物だったが、それだけで飽き足らない人間は今度は動物の改良

    (動けなくて飼育しやすいニワトリなど)に乗り出す。そして遂に動物の複製作りである。




    英国に誕生したクローン羊の「ドリー」は世界に大きな衝撃を与えた。

    そして、人間のクローンだって可能だという事に誰もが気付き、怖れた。

    人間のクローンだけは作ってはならない。

    でも、作れるよ。

    いや、駄目だ、やめろ。

    う−ん、じれったいね。



    1986(軽率5)年晩秋、ジョンの説得によって、YMFの3人は

    世界初のクローン人間となる事を決意。



    (つづく)







    ■ シブがき隊外伝の外伝 その2 「好敵手(ライヴァル)」の巻 
        
                       (2004年2月20日(金)18時30分1秒)





    ところでさてよい子のみんなは、シブがき隊のライヴァルと言えば

    いったい誰を真っ先に思い浮かべるかな?



    少年隊?普通だね。 たのきん?古いねえ。 チェッカーズ?分かってるね。 

    吉川?違うだろ。YMO?ジョークかい。 風間杜夫?面白い考え方だね。
      


    だがヤングのみんなは知らないだろう、歴史の波に呑まれて消えたYMF最大の

    ライヴァルがいた事を。

    彼の名は「西川一也」。



    「一人YMF」の異名を取った西川はYMFと同じ軽率元年(1982)「若者野郎」でデビュー。

    デビュー曲こそぱっとしなかったものの続くシングル「痛快野郎」「真っ赤な恋」

    「恋愛旋風」「嵐の告白」「おっとマブいぜ」等で大いにチャートをにぎわしたが、

    デビューしてまだ一年ちょっとのある日、主演映画「拳銃野郎」の撮影中ゴーカートで

    遊んでいた所を津川雅彦が居眠り運転をしていた小型ヨットに突撃され即死、「日本の

    ジェームスディーン」と呼ばれる様になった。



    太く短い青春を駆け抜けて死んだトニーこと西川一也。 彼は生前の「アサヒグラフ」誌イン

    タビューにて、ライヴァル、YMFについてこんな事を言っている。


    「ふへっ?シブがきトリオォ?あんなんと一緒にされちゃ迷惑千万船場太郎おじゃましますだねえ。

    まず声に僕みたいなパンチが無いだろう?それに3人揃ってバック転も出来ないんだって?? 

    僕が「恋愛旋風」の振り付けで何回バック宙するか知ってる?16回だよ16回!

    「バッチリ〜」のとこなんて空中3回転してんだぜ僕!「パンチ野郎」の和久田竜の方がずっと

    マシだよアホらしい。」



    さて和久田竜と言えば西川や一時期のYMFと並んでいわゆる「パンチ族」と呼ばれたパンチ歌手の

    一人だ。パンチ歌手とはパンチのある歌をパンチあふれるゴーゴー感覚で歌う歌手の事。

    パンチ族ブームは82年夏の大麻天皇崩御で深い悲しみに暮れるあまり同年の経済成長率が

    54.6%まで落ち込んでしまった(当時高度経済成長の日本では年間80%以上の経済成長率が

    当たり前だった)事に危機感を覚えた政府・自民党が契景気回復の奥の手として演出した

    ブームである。例えばYMF黄金の年、1983(軽率2)年春のある週のオリコンチャート上位を

    見てみよう。(パ)とあるのはパンチ族の歌手。いかに当時凄いパンチブームだったのかが

    よく分かるぞ。



    1位 アルフィー メリーアン

    2位 西川一也(パ) 恋愛旋風

    3位 シブがき隊(パ) 処女的衝撃(バージン・ショック)!

    4位 港孝也(パ) 青春火山

    5位 早見優 急いで!初恋

    6位 和久田竜(パ) パンチ野郎

    7位 エマニエル坊や シティ・コネクション

    8位 間宮ひろし(パ) 新宿野郎

    9位 風間杜夫(パ) 夏も泣いている

    10位 デュラン・デュラン(パ) 腹ぺこ野郎(Hungry LIke The Wolf)







    ■ シブがき隊外伝 そのhiro35(ヒロミゴー) 
                                    
     (2004年2月20日(金)19時41分50秒)





    「スシ後のシブがきシングル」と言えば今でも、なんだかさっぱりわからない物事、

    特に順番がどうだったか見当も付かない事の喩えとして日常で普通に使われる。



    「なんだかよう、最近のマイコンはアイテーだかインストールだか知らねえけどよう、

    エラくスシ後のシブがきシングルになっちゃったなあ。」

    「昨日マシャマシャと初めてHしたんだけど、奴と来たらなんかカバンからガサゴソ変なもん

    引っ張り出しやがって、結局最後まで何がなんだかスシ後のシブがきシングルだったわ!

    でもちょっとよかったかも。」



    実際「スシ」の後のシブがき隊シングルを順番を間違えずに全て列挙するというのは、逆に

    「スシ」以前のシングルを全て正書法で書く、というのに匹敵する難しさだ。 てゆっか

    タイトル自体があまり知られていない。だからタイトルでボケをかます意味がほとんど無いので、

    今後はいちいち「じたばたシックスティーン」とかヒネらないでそのままの曲名で行くんだね。



    とは言え「飛んで火に入る〜」はリアルタイマーズにだけは割と知られている事もあり一応ボケて

    おきましたが、次のシングル(だよね??)「千夜一夜(アラビアン)キッス倶楽部」となるともう

    日本国民の1,000人に一人も知らないんじゃないか。つまり何らかの先天障害を持って生まれてくる

    日本人よりも少ない、と。ただそういう人は生まれてすぐ死んでしまう比率もまた高いわけだから

    大人人口での比率の喩えとしては、、ただもちろん障害を持って生まれれば自然と死にやすい場合も

    多いだろうが場合によっては意図的に、、、こういう話はやめましょう。



    さて、日本軍のイラク派兵も本格的に開始されYMFの3人も入隊する様になると、日本政府は

    「イラクでの軍隊生活も意外と楽しいぞ(ハート)」という宣伝と、もう一つ

    「日本人がアラブ社会に対してとっても良い感情を持っていて今すぐキッスしたいくらいですよ」

    という全アラブ人への熱いメッセージを込めて、シブがき隊としては一連の日本男児シリーズ以来

    久しぶりに日本政府の肝入りシングル「千夜一夜(アラビアン)キッス倶楽部」がリリースされた。



    ところがこの曲がアメリカ社会に大きな波紋を投げかけ、議会でもゲッパート上院議員を中心に

    いわゆる「ジャパン・バッシング」の嵐を巻き起こすきっかけとなる。



    (つづく)






    ■シブがき隊外伝 その36のヴィーナス 
    (2005年1月7日(金)16時15分38秒)



    和製ジェームス・ディーン、「永遠のト二ー」こと西川一也の不慮の死は、トップニュースとなり忽ち日本列島を駆け巡った。

    「号外!号外! 奴は逝ったよ 。。」
    『瞬間風速60メートルのボートが激突即死!津川雅彦号泣謝罪』 『真っ赤な恋の血を流し絶命、俺たちのト二ー』 『パンチ歌手西川一也、バッチリあの世へ』
    まるで全ての真面目な新聞が東スポになったかの様に、大きなフォントの活字が紙面に躍った。。


    国電新橋駅前にいたジョンも、この知らせを聞きぞっとする。
    「そうだ、、僕のモッくんだって、いつ何時あの世に旅立ってしまうか分からないじゃないか、まして彼はもうすぐ日本国空軍のエースパイロット(正式名称「トップガン」)になる身だ。 やっぱり早いとこクローン作ってもらわナイトレンジャー!ティレレリ・ティレレリ・・ もう迷わないぜ、抱いてやるぅっ!」
    最上級の焦り方でジョンは科学技術庁クローン課へと赴いた。

    「私が、クローン部部長の黒沢黒男です。」
    「えっとー、ミーはジョンたい。 早速ですが、お話は黒山課長の方から聞いていらっしゃると思いますが、、例の件なんですが、、とりあえずウチの本木から早速手をつけて戴けませんかな、というわけでして。」
    「そういう貴方はもうモッくんさんに手をつけてらっしゃるのではないですかな?おっふぉっふぉっふぉっふぉ。 いや失礼、あらためまして、、お主もワルよのう。」
    「いえいえお代官様ホモでは、もといお代官様ほどでは。。」
    「おーい黒助係長! 例のアレを持って来てちんまげ!」   「へーい合点ですだ」


    こうして、モッくん一足お先にクローン人間作っちゃうぞ計画は着々と進む。当プロジェクトの公式応援歌「お先に失礼!」も人気ビジュアル系女子高生グループ「おニャン子カルチャークラブ」によって歌われ中ヒット。  モッくんは万が一の事を考えて裸になって体のあらゆる部分のサイズや角度を調査された。ジョンがいつでも付き添った。 
    「いつだって君は僕のヨン様さ。。」


    @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

    月日が少し流れ、プラタナスの葉が散った頃、、、 モッくんのクローン(愛称:モックロン)が完成!
    ジョンは鼻から黒い湯気を発して喜んだ。 

    (つづく)


    ■シブがき隊タトイ云 その佐七(37) 
    (2008年 9月29日(月)13時19分2秒)



    それから韓流ブーム等色々あって、モッくんは事もあろうに日本を代表するロッケンローラーの娘と目出度(めでた)く結婚した。 但しこれはジョンさんの陰謀による偽装結婚であるとの噂も絶えない。


    さてモックんの嫁になった、日本を代表するロッラー(ロッケンローラーの略)、嫌触@気違(やざわえいきち)の娘、魅奈屠YOKO(みなとヨーコ)はその昔、うさぎ竜童率いるダウン・タウン・ブギ・ウギ・オーケストラのヒット曲「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨッコイ庄一」の歌詞に出て来た「ヨーコ」のモデルとなった人物であり、歌詞の通り彼女は横浜、横須賀、浦賀、サイパン、ガダルカナルと夜の盛り場を渡り歩いた後グアム島のスナック「GINZA」裏でゲロを吐いて寝ている所を発見され日本に強制送還、その後水商売の経験を活かして熱海一番のやり手ばばあとして君臨、その後Jリーグ人気チーム「ホットオーシャン熱海」のオーナー兼控えゴールキーパーとしての活躍も記憶に新しい。


    さて、そんな魅奈屠YOKOが気を取り直して結成したムード歌謡ユニット「thegenerous(ゲネロウス)」は折からの鼠先輩、ムーディー勝山、マヒナスターズ等によるムード歌謡ブームの追い風もありデビュー12インチデジタルシングル(昔のバカでかいフロッピーディスクに楽曲データが入っている)の「失敗物語」もまずまずのヒット、続く「ムード気分の夜だけに」が2万3千枚と当時の音盤不況下にしてはかなりのスマッシュ・ヒットを飛ばし、YOKOの口癖「業界の先輩がぁ」も年末の流行語大賞を見事ゲトッ。 勢いで親父の嫌触@気違(やざわえいきち)も還暦記念シングル「NAI NAI 60(シックスティー)」をリリースしアラックス(around sixty)世代のアンセムとなった。


    そんな濃い〜家族の一員となってしまったモッくんはある日、わき毛を剃りながら考えた。 「Hey! Say! Jump って何人いるんだっけ 。。   ところで 『ヘイセイ』 って何か意味があるの??」


    軽率27年秋、ある昼下がりの事だった。



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